まず、音は非常に良く、演奏は万全、シャシュ、コロシュともに良く役にはまっており、歌唱演技とも素晴らしい。
舞台での実現がなかなか困難なことから、オペラ映画という手法を取っているが、
美術的にも非常に優れていると思う。
最後の扉、殺されたはずの妻たちが次々に現れる、その姿の美しいこと。象徴的な衣装は艶やかで、しかも青髭に付き従う姿はぞっとする様だ。最後の場面でユディトと青髭がすさまじい不協和音を奏でながら歌う二重唱、その困惑のユディトの顔と喜びとも絶望とも付かない面持ちの青髭。強烈な不協和音と燦然たるオーケストラの咆哮の中、闇に消えてゆく妻たちの姿は非常に印象的だ。
人の思想を左右で論じることに、近頃疑問を感じる。どの立場にも立派な人がいて、体制と個人とのいずれを重んじるか、その重心の違いに過ぎない。二元論は唾棄すべき1ビットの思考だが、それを承知で言うなら、高邁か低劣か、賢明か愚昧か、の方が有効ではないか。低劣で賢明な人物が潮流を作り、低劣で愚昧な連中が神輿を担ぐ。歴史の愚行はこうして生まれる。
本書はバルトークの息子が父を語った貴重な回想記であり、数多くの私信も収める。家庭人としての彼が愛惜を込めて描かれる。孤高の人という印象の彼は、実はよき夫・よき父であり、家族や知人の幸福をいつも案じる、慎ましやかで仕事熱心な学者であった。
しかし、読後の印象は「憂愁」である。彼は後世に測り知れない贈り物を遺した。それに比べて彼が享受したものは?−あまりに不遇な晩年である。移民の不如意を存分に味わい、悪疾に苦悩し、死後も遺産管理人の強欲のために遺志は叶えられなかった。
ナチス(「あの血に飢えた野獣ども」p.432)の台頭と大戦が、彼の人生を大きく変えた。彼が移住先の米国で経験したのは、その価値に似合わぬ冷遇である。協力者は確かにいた。ふつうの移民よりは恵まれていただろう。しかし、40年間にわたる民謡収集、20世紀を代表する作曲群、ピアニストとしての名声。一般の米市民は彼の功績を理解しなかった。公正な人格で多くを主張せず、そのため奪われに奪われた晩年の悲劇。
高邁で賢明であった彼が絶望した時代。彼は19歳を迎える著者に「神はもう世界から手を引いた」(p.364ほか)と書かざるを得なかった。もちろん彼は反ナチであり、著者はそのため学校で苛めを受けたという。苛めた連中は戦後どうしただろう。私は今と思い合わせる。ネット上で猛威を振るう愚か者たちは、事態が変わったらどうするだろう。我が身を恥じるなど、金輪際ありえない。こうして世界は元の木阿弥。所詮、そんなものか。
もっとも難しいのが「アレグロ・バルバロ」です(ツェルニー40番終了程度)。ほかはツェルニー30番程度の人から弾ける曲ばかりです。しかしバルトークなので日本人にはなじみの薄い民族的なフレーズがあったり、独特なリズム表現があったりします。そのため
ドイツ系の音楽(バッハ、
モーツァルト、ベートーヴェン)や
フランス系の音楽(
ショパン、ドビュッシー)とはまた違った魅力を楽しむことができます。特にリズミックな表現はいまあげた作曲家からは学びにくいと思うので、打楽器的にピアノを使うバルトークを勉強すると、リズム表現が格段に向上すると思います。
このシリーズは解説が充実しているのが特徴で、初心者にはわかりやすいし、専門課程を目指す方でも十分に使える内容だと思います。
バルトークはストラヴィンスキーとシェーンベルクと並ぶ20世紀最高の作曲家。バルトークの音楽が大好きなので本書を手に取ったのだが、筆者もことわっているように、本書は作曲家としてのバルトークではなく、民俗音楽研究家としてのバルトークに焦点をあてている。バルトークが民俗音楽を研究し、民俗音楽から影響を受けた音楽を創っていたことは当然知っていたのだが、バルトークがここまで民俗音楽研究に力を入れていたということを本書を読んで初めて知った。バルトークにとっては民俗音楽研究は作曲と同等の重要性を持つものであり、晩年に米国に移住する際も、作曲ではなく民俗音楽研究で大学のポストを得たがっていたという。
ただ、本書が新書として出版されるべきものだったのかは大いに疑問である。『バルトーク』という
タイトルをつけながらも、大作曲家バルトークの音楽についてはほとんど触れず、ひたすら彼の民俗音楽研究についてをひたすらマニアックに記述しており、若干詐欺まがいだと言っては言い過ぎだろうか。無論、本書に学術的価値があることを否定するものではないが。ただ、バルトークの民俗音楽研究が彼が作曲した作曲群にどのように影響を及ぼしたのか、ということについてくらいは「お約束」として紹介しておくべきだったのではないか。