フクシマ・原発事故に対して政治的にどうかは別に、「そこで起こったことにどう向き合うか」それこそが音楽家に突きつけられている。
作られた音楽が虚像であったら、それは作り手が自らを欺いて作ったことになる。自らに背を向けた音楽に聴く人は共感しない。音楽の前に素直になればなるほど、今回の原発事故を見逃すわけにはいかなかった。
放射能拡散の莫大なエネルギー、目に見えないのに次々と襲われ被爆していく人々の恐怖、津波にさらわれて深い海の底で眠る屍、避難をし故郷に帰るあてもない10数万人の人々の思い、すくすくと腕の中で育つわが子の遺伝子が傷つけられているのではという恐怖、復興は終わったかのように政治から忘れ去られようとしている怒り、それでも励ましあう人間の絆に希望をもちながら日々の生活を送る…そんなありのままの姿が時に激しく、時に静かに、時におどろおどろしく、時に哀しく溢れてくるのである。
ジャズとは本来このようなものであったかと思わされるアルバムである。