白樺派の文学に傾倒した藤枝静男は、志賀直哉の虜となる。だから作品はどれも白樺派の流れを汲み、己を冷静で客観的な視点から捉え、私的な事柄を赤裸々に、だが格調高く表現することに成功している。
プロフィールによれば、藤枝静男は現在の静岡県藤枝市出身なので、おそらくペンネームもそのあたりから拝借したのかもしれない。
作品は静岡県中部、西部地方が多く舞台となっており、作中の登場人物のセリフが方言丸出しで、かえって好感が持てる。
気取っていなくて、それでいて硬質な文体という優れものだ。
私が思わず涙したのは、『欣求浄土』という連作の中の一つ、〔一家団欒〕である。
これは究極のファンタジー小説と言っても過言ではない。それなのにリ
アリティに溢れ、読み手が物語にすっと入り込んでしまうのだから不思議だ。
これは主人公・寺沢章がこの世の生を終えて、親・兄弟の眠る墓地へ出向くところから始まる。そこに妻の存在はない。妻は明らかに外部の者であり、章(藤枝静男)にとって彼岸の向こうでは、いわば、他人なのだ。
話はこうだ。
寺沢章は、美しい茶畑に囲まれた菩提寺を訪れた。
そして両親と兄弟らが眠る墓石の下にもぐって行った。
「章が来たによ」と父が出迎えてくれると、続いて姉が「あれまぁ」と懐かしい声を響かせる。
姉は18歳で亡くなっているので、その年齢のままの姿なのだ。
章は亡くなったとき59歳なので、姉よりもずっと老けていて、頭も禿げている。
しかも死亡時に臓器提供しているため、父が心配して「章、交通事故にでもあったかえ」と訊いた。
「そうじゃあない。内臓をみんな向こうへ寄附してきたで、眼玉もくり抜いて来ただよ」
「お前も相変わらず思い切ったことをするのう」
章は、父を前にすると、急に胸が迫ってきて涙がこみあげて来た。
「父ちゃん、僕は父ちゃんに悪いことばかりして、悪かったやぁ」
「ええに、ええに。お前はええ子だっけによ」
そう言って父は、章を一切責めることなく、慰めるのであった。
ここでの章という人物は、正しく藤枝静男自身のことであり、あの世での肉親との再会は切実な願望に違いない。
本職が眼科医であった藤枝は、医療に携わる傍ら、私小説を書き続けた人である。そこには、過酷なまでに自分を見据えた、拷問のような眼差しを注いでいる。
全編に自虐的な、甘やかしのないメスで切り刻んでいく鋭さが感じられるのだから、さすがは医師である。
常に両親に対する侘びの気持ちが溢れていて、過去を赦せない自分を持て余しているようにも思える。
だが〔一家団欒〕では、全てが報われ、癒され、救われている。家族そろってお祭りに出かける場面は、何とも言えない郷愁を誘う。
この作品を読むと、生を全うした後、必ずや訪れる死の影も、まんざら悪くはないと思わせる不思議な優しさを感じるのだ。
藤枝静男は、知る人ぞ知る作家ではあるけれど、一読するとやみつきになってしまう独特の世界観に覆われている。
『欣求浄土』の他に『悲しいだけ』という作品もあるが、これも併せてお勧めしたい傑作だ。