Dr.スランプ劇場版DVD-BOX SLUMP THE BOX MOVIES (完全予約限定生産)
旧シリーズ2BOX、リメイク版のBOXに続き劇場版シリーズ全10作品もDVD化。旧シリーズの作品が9作にリメイク版が1作、さらに映像特典として昨年ワンピースと同時上映された短編である「Dr.マシリトアバレちゃん」も収録。全4枚組みで封入特典としてぷにぷにニコチャンなる物もセットです。旧シリーズファンやリメイクシリーズファンだけでなくDr.スランプをまだ見たことの無い人たちにもぜひおすすめです。
風と木の歌―童話集 (偕成社文庫)
しんと胸にしみてくる、哀しいような、さびしいような、そんな美しい物語が八つ。1972年(昭和47年)、実業之日本社から刊行された初期短篇集を復刊した本。「きつねの窓」「さんしょっ子」「空色のゆりいす」「もぐらのほったふかい井戸」「鳥」「あまつぶさんとやさしい女の子」「夕日の国」「だれも知らない時間」が収められています。
最初の「きつねの窓」の話から、白や青をはじめとする物語の色の優しさ、美しさに魅了されましたねぇ。収録作品のなかで一番気に入った「空色のゆりいす」などは、目の見えない女の子の心に浮かぶ色彩が実に綺麗でした。海と空の青が、本当に素敵だったなあ。
「耳の中に大変なものが入ってしまった」と、耳のお医者さんのところに少女がやってくる。そこから話が滑り出してゆく「鳥」も、するするっと引き込まれてしまうファンタジックな面白さがバツグンでした。少女の耳の中に、青い夏の海が広がっている風景。イメージの不思議さ、幻想性に、物語の中に吸い込まれる心地になりましたよ。
巻末の解説文もいいですね。蜂飼 耳(はちかい みみ)の「体の底に残る響き」。《安房直子の童話は、作者がいなくなったいまも、ひっそり静かに輝きつづけています》とあるところ。全くそのとおりであるなあと、本書を読んで、身にしみてそう感じました。
安房直子の作品を初めて読む方に、まずおすすめしたい一冊。
義母と隣の未亡人親娘 (リアルドリーム文庫21)
夫が出張ばかりで淋しさを募らせたところに現れる主人公(義息)とそのムスコに困惑しながらも陥落、その後は自由奔放な隣の未亡人と主人公との接触に嫉妬の混じった危機感を抱く義母に微笑ましい可愛らしさを感じる作品である。主人公も、未亡人の娘という幼馴染みな彼女がいながら義母にも想いを寄せているので、単にカラダ目当てだけではない接し方をしている。理性で拒んだり感情で受け入れたりする一進一退の末に、抵抗への諦めと主人公への愛しさが綯い交ぜになったような態度を見せる義母だが、彼女から海に誘われる電話が入って水を差される。しかも、この誘い主が実は彼女の母、つまり未亡人と聞いて少しヘソを曲げる義母が可愛らしい。案の定、海では未亡人が嬉々として誘惑するが、主人公の、娘への想いや義母への感情を把握・理解したうえでの指南役を勝手出る形になる(その後、主人公を手放したくなくなり義母との3Pな結末を企てる)。ここで面白いのは、主人公が海に行っている間に義母がこれまでを回想、自ら慰めるほどに主人公への想いを昂ぶらせて決意を固めることである。義母のセリフ回しが変わる。もとより丁寧な語り口だったのがさらに強化されて別のキャラのようになり嫉妬もあからさまになってくる。この後ようやく合体を果たすのだが、ここから義母とのヤりまくりな蜜月期間に彼女の「初めて」、未亡人との情交が駆け足気味に展開されるのが少し残念である。正直なところ、彼女が居なくても話は成立するので、むしろ外してしまって熟女2人の濡れ場や心情描写に特化しても良かったのでは?と感じた。後ろから抱き締めて戯れる描写を多用しての煽情的なシーンは悪くないが、決してハーレムと言い切れない結末にも、未亡人が企てる3Pにも消化不良な印象が残るからである。作品全体からすれば星3つ相当だが、義母の心境の変化と変貌、嫉妬心を露わにする可愛らしさに星1つプラスである。
恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた
地球における酸素濃度の変化が進化の要因である事を主張した本。第一章で鳥の酸素活用効率が哺乳類より遥かに高い事が示され、酸素濃度の変遷と進化との関連性が示唆される。第二章ではGeocarbsulfと言うモデルを用いて、酸素濃度と生物の絶滅期の相関性が示される。ただし、このモデルの信頼性が充分に示されない点が本書の主張を弱いものにしている。このモデルに基づく著者の主張点は以下の二つ。
(1) 酸素濃度の低下が多様性の引き金となる(絶滅期とも重なる)。
(2) 相対的に高い酸素濃度の時に最も高い多様性が見られる。
(1)と(2)は矛盾しているように見えるが、(1)は単なるキッカケと言う意味か。第三章では「カンブリア紀の大爆発」における節足動物の繁栄の起因をエボデボ理論と関連付けて低酸素濃度に求めているが、原因と結果の関係が曖昧で説得力に欠ける。呼吸器官だけに比重を置き過ぎている。カンブリア紀末期が低酸素濃度と言うのもあくまで仮定で、それに続くオルドビス紀の多様性の原因になったと言う論も更なる仮定である。第四章のオルドビス紀以降の話も仮定と既知の事象の繰り返しで、読み物としてはともかく学術的生物学の説としては不充分である。甘く評価して呼吸器官の変遷の説明になったとしても、進化の多様性の説明には遠く及ばない。
Geocarbsulfモデルもエボデボ理論も他人様の借り物で、それを自分の結論に合うように利用したと言う感じが否めない。Geocarbsulfモデルが正しければ誰でもこの程度の事は思い付くのではないか。代謝が生物の基本であると言う発想は悪くないのだから、仮定を裏付けるデータを多く入れるべきだったろう。