Fahrenheit 451
50年以上前に書かれた本書。(日本では車や白黒テレビさえそれほど普及しておらず、トイレは汲み取り式、農作業は人力と馬なんていう時代です。)それなのに、今日、現代社会を侵食している困った問題がここまでえぐり出されているなんてすごいと思います。最近書かれた本として読んだとしても、私には何の違和感もなかったと思います。(私の読んだのは50周年版だったので、多少時代に合うように手直しされていたのかもしれませんが・・・。)
舞台は禁書令の敷かれた未来。・・・・・・でも、その禁書令は、すでに人々が「自分の五感で感じること、じっくり読むこと、考えること」などの面倒くさいことを投げ出し、愚かにも享楽的に生きることを選んでしまったところに付け込んで始められたものだったのです。(だから、禁書令が敷かれても誰も驚きもしなかったなんて!)
まさに、現代の実社会は、この本に描かれた世界の前夜的な状況です。
本書では、たまたま禁書が書かれているけれど、コトは、本だけの問題ではないのです。
もともとSFだったそうですが、今となっては、もはやSFというジャンルのものではなくて、まさに現代社会への警鐘の書だと思います。
冒険物語にわくわくする少年の年頃の人より、人生の苦みも分かり初めてきた人たちの方が、よさのよく分かる本だと思います。
いつもなら、一度読んだ本は読み返そうとは思わないズボラな私ですが、この本は読み返したくなりました。
機会があれば、日本語版の方も読んでみようと思います。
面白いほどよくわかる聖書のすべて―天地創造からイエスの教え・復活の謎まで (学校で教えない教科書)
私はキリスト教徒ではありませんが、一般教養として聖書を読んだことがありますが(途中で挫折)どうしても難しいのです。(日曜学校等に行けば別ですが)それは何故かというと、聖書は比喩表現が多いからです。その比喩ゆえに多くの解釈(宗派)があります。何故はっきり書かれなかったと言うと、その時代背景にあります。はっきり書くと人々に受け入れにくかったり、何千年も通用する内容でなければならないからです。そんな難しい内容を聖書の各章ごとに、あくまでも客観的に解説しています。聖書までは手が出なくても、この本だけでも十分読み応えがあり、聖書のおおまかな内容をつかめると思います。ただ、聖書の精神論、世界観まではつかみ難かったので、”面白いほどよくわかる”とは思えませんでした。今度聖書を読む時は、子供でも大人でも読みやすいものを読んでみようと思いました。
蜷川妄想劇場 ~mika's daydreaming theater~ (タレント・映画写真集)
それぞれのアーティストの魅力を引き出すための工夫がされた演出。まさに、女の子のための「正しい」グラビアですね♪
突然炎のごとく〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選9〕 [DVD]
ファム・ファタールは独占できない
女神を地上に降ろしてはいけない・・・
幾多の言葉を繰り出しても、語り尽くせない映画の一つ。
カトリーヌ(J・モロー)というファム・ファタールをめぐる、二人の男ジュール(オスカー・ウェルナー「華氏451」)とジムの三角関係と奇妙な同居生活が描かれる。
J・モローがヒロインを演じなければ、成立しない映画だったのかもしれない。
「彼女は美しくないけれども、女そのもの」
「嘘は焼いてしまう」
いくつもの台詞が輝いて、心を奪われる。
また、印象的なシーンが多くあり、カトリーヌが突然川に飛び込むシーン、男装してざっくりとしたセーターを身にまとい、口ひげを書いたカトリーヌの姿、自転車を走らせるシーン、カトリーヌの顔をジムが指でなぞるシーンなどが忘れられない。
第一次大戦前のパリから描かれ、モンパルナスの自由で退廃的な雰囲気が伝わり、戦後のシーンではJ・モローの衣装(モローの自前の衣装)が楽しい。
一人の男が独占するには手強すぎて、つかみどころのない奔放な女、カトリーヌ。
とらえどころのない女だからこそ、ジュールとジムはカトリーヌの魔力から逃れられない。
「どんな男といても満足したり安住できない女」は、つかまえてはいけない。
ただ崇めているだけの方が傷つかない。そうとはわかっていても、恋愛は理屈ではないから、人生は面白い。
皮肉なラスト・シーンには衝撃を受けた。
華氏451 [DVD]
小説を映画化して成功した希有な例だと思います。
本の所持を禁止された未来という設定なんだけど、移動手段や家具のデザインは1966年そのものであることの絶妙なバランス。原作にはない、追加されたシーンも効果的に配されています。