永平寺の精進料理 七六〇年受け継がれた健康の智慧を家庭でいただく
縁あって永平寺別院に10年以上通う機会があり、一時期、著者の料理をいただいたことがあります。
偉いお坊さんが「こんどの典座の料理はとてもおいしい」とぼそっと言われました。
それでじっさい料理を頂くとき、はじめ「そうかな?」と思いました。目の前の飯物などは味付けが薄口で湯気だけが上って来るかのような気がしたのです。しかしそれはすぐに誤解とわかりました。
その中からだんだんと味が出てきて、噛むほどに噛み心地を感じたり、演出しようとしているかのような意図のある香りや味わいを感じたのです。そして(おかずの追加である)別菜はむしろしっかりした味付けで、結果的にどの料理もメリハリの利いた、とてもおいしい味だったと記憶してます。
はじめに口にするものは薄い味で、後に口にするものは比較的濃い味に演出されたのでしょうか。食べ終わってみると、たいへん幸福感につつまれたのを憶えています。
味付けは「濃い味は付けやすいが薄味は付けづらい」と以前どこかで聴いたことがあります。はっきりとしっかりした意図をもって薄い味に「演出」したりするのは、基本だけ知っていてもできない、むしろ伝えようとする「心」の領域かもしれません。
(本来、禅宗の教義では、味が美味いとか不味いとかを、考えたり口にするべきではないのですが、著者の料理が質の高いものでしたので一言書かせていただきました)
エンカウンターで不登校対応が変わる
「日頃からの家庭での親子の対話が大事だ。」と誰もが言う。しかし親の実際の悩みは「どうしたらうまく話し合えるかがわからない」ことだ。
「家では笑顔で楽しく普通に話し合っているんです。でも、不登校(ひきこもり)の話になったとたんに口をつぐんだり、席を立ってしまうんです。もう、学校に行きなさい(社会復帰しなさい)って言えない。」という家庭が多いというのも頷ける。不登校は一つ屋根の下で、「親も子どもも孤立化する。」とも筆者は書いている。
子どもに「『不登校・ひきこもりの原因は何か。』話して」と尋ねることは、大人にしてみたら「あなたが休職・失職した原因は何ですか」「なぜ働かないの」と迫られるようなものなのだろう。原因が分かれば解決するものでもない。
誰にも言えないからよけいに苦しみが増す。でも本当は強く救いを求めている。
「一番言いにくいことが実は一番言いたいこと。」とはよくも言い当てたものだ。
この本は心情的に親と子どもの味方をしているだけでなく、「こんなときどうしたらいい?」に対して「なるほどそうだったのか!」と目からウロコが落ちる本である。
親子が胸襟を開いてどう対話するか。心温まる話し合いが子どものエネルギーに代わり、復帰に向けて動き出すまでの順序や方法が、実によく心の機微をつかみながら具体的に示してある。不登校だけでなく、社会的ひきこもりの対応にもお勧めしたい。
完全敵地
サッカーファンの間では伝説の試合とされる1986年メキシコW杯予選の日本×北朝鮮戦アウェー試合を中心に当時森孝慈監督以下そのまとまりの良さから森ファミリーとまでいわれた日本代表(当時は全日本といわれていた)の戦いぶりを描く。
日本×北朝鮮戦アウェー試合は観衆8万人に対して日本は団長や取材記者、カメラマン、現地の商社スタッフなどわずか18人の日本サポーター。敵地のピッチは人工芝で、試合前に十分水を撒いておくことになっていたはずなのに、実際はわずかに水を撒いた跡が残っているだけだった。防戦一方の中、木村和司が相手から頭突きを受けて頭を地面に強打、ピクリとも動かず白目をむき、口から泡のような唾液が流れている。もうだめかと駆け寄った選手たちは思った。激しい戦いを何とか乗り切って韓国との最終予選、満員の国立競技場での木村和司の伝説のフリーキック。しかしプロ化した韓国の前に日本はあまりに脆弱だった。
あの北朝鮮アウェー試合は当時テレビはもちろんラジオでも放送されなかったし新聞記事の扱いも決して大きくはなかったので謎の部分が多かったが、今回著者によって初めて詳細に紹介された。当時に比べればアウェー試合ははるかに戦いやすくなったが、やはりこれからも厳しい戦いは続くだろう。