日本の喜劇人 (新潮文庫)
気まぐれに手に取った1冊だが、思いがけず素晴らしい著作に出会えた。
ここで題材にされているのは舞台上で身体表現として演じられる「喜劇」という視点で括られた「喜劇人」群像であり、ここで語られている人々のほとんどの喜劇についてリアルタイムで目撃できなかった自分にとっては、この著作は上質の昭和史としても読める。
CS放送の映画で観たエノケンや森繁久弥、フランキー堺やクレージー・キャッツ、渥美清や小沢昭一がその雌伏の時期から最盛期に置かれていた立場や状況、彼ら大立者と同時期にしのぎを削っていた喜劇人たちの消長、彼らを使って売り出したり、使わなかった興行界やテレビ界の人々、彼らの喜劇を楽しんだり楽しまなかったりした観客、そんな喜劇を巡る場を規定している日本全体の風潮、著者自身や長部日出雄など著者の友人の青春、様々な視点から楽しむことが出来る。
以前車内でFMラジオを聞いていたときトニー谷の曲がかかり、笑いすぎて事故を起こしそうになったことがあるが、そんなアナーキーな芸風の彼の経歴や最盛期の行状を読んでいると驚くやらわらってしまうやらだったし、ドリフターズのコントの大部分が、ストリップ劇場で芸を磨いた脱線トリオのコントをそのまま拝借したものであること、あきれたぼういず・クレージーキャッツ・ドリフターズと続いていくジャイブ・ミュージックから喜劇への転進の系譜、子どもの頃から家族で毎年観に行っていた「男はつらいよ」主演の渥美清の複雑な胸中、60年代大阪の笑いの仕掛け人が二言目には口にする視聴率至上主義、それぞれ考えさせられるし、また、知り合いから鈴木清順監督「殺しの烙印」を見せてもらってそのシュールで、シリアスを通り越してギャグにまでなっている世界に目ん玉飛び出る思いをしたことがあるが、その主演である宍戸錠が喜劇人だという把握はなにか納得できる。
そんなエピソードは読んでいて単純に面白いが、読み終えた今となっては、現在の「お笑い」に至る道筋とともに、そんな「お笑い」が「喜劇」の孕んでいた要素の幾つかを葬ったこと、ここで書き残されている「喜劇」のヴァラエティに含められている笑いのオルタナティヴの幾つかなどに思いが広がっていく。
何にしろ、非常に面白く、楽しめて、考えさせてくれた1冊。
非常事態の中の愉しみ: 本音を申せば
小林信彦先生の文春コラムの14冊目です。
非常事態の中での愉しみ。この書名は半ば本音で半ばはアイロニーでしょう。
日本は昭和20年の「原子力の炎」の中から戦後はずっと非常事態であるのかもしれません。
日本人はその中に70年近くいるだけなんです。
その中での様々な楽しみもあるのでしょう。
戦後の先生の体験をフィードバックしているのです。
戦後の辛さをよくご存知の小林先生しか書けないコラムです。
黒澤明という時代 (文春文庫)
この作者の小林信彦氏は私より2才年下だけれど ほぼ同年代なので黒沢明野第一作「姿 三四郎」を私同様 リアルタイム で見ている また私も黒沢作品全30作を見たので その時代々々が思い出されて一気に読んでしまいました
学生時代 アルバイトで砧の東宝撮影所で「素晴らしき日曜日」のエキストラをやったこなど思い出して楽しく読みました
気になる日本語―本音を申せば
週刊文春連載の「本音をもうせば」のコラムですが、いうことなしで本書では
署名にもなっていますが、無神経な「気になる日本語」に対する先生の徹底的な批判がすごいです。
かこのコラムでも無神経な言葉づかいを「恥語ノート」として批判していました。
来年は日本語どころか緊急事態の日本と日本人のメンタリティが批判されるでしょう。
しかし、小林先生と同時代を生きる私たちは先生のコラムを読めてなんと幸福なのでしょうか。
テレビアニメーション「神様ドォルズ」ドラマ・キャラクターアルバム Vol.1
ドラマの内容は十分楽しめる。ナレーターはいないのに情景が頭に浮かぶ。
オチは、まさか・・・といった感じだった。
勾司朗、そこで出てくるか・・・と。
キャラソンの「ごちそうさまが言えなくて」は、所々詩緒のセリフが入るけど、
それがツボというか、何というか、アニメから入った詩緒ファンの心をうまいこと
くすぐっている。