ゆらぎの森のシエラ (創元SF文庫)
1989年作品。この時代にしてはまだ珍しい「バイオ・ファンタジー/SF」というべきジャンルの作品。
舞台は中世風の世界。塩で枯れた森、霧に閉ざされた村。
異形の生物に襲撃される村人と、これまた異形の守護神。
そこに異形の騎士と狂った少女シエラ。
なにもかもドロドロした世界だ。
どのへんが「バイオ」かというと、異形の者たちは敵を食べることで遺伝子を取り込んで、その能力を我が物とする事が出来るということ。
主人公「金目」の甲冑は皮膚そのもので、どうやら巻貝の殻のようなものが出所らしい。
本文の中に挿絵は一切無いけれど、ビジュアルイメージは『デビルマン』的なオゾマシイ感じが匂う。
少女シエラは最初は「狂った少女」として登場するが、これも色々なものを食べる内に世界の原理を思い出しつつ美しい紫の瞳を持つ女神に成長する。
ラストシーンは、映画にしたらなかなか美しそうなロマンとバイオレンス。
ちょっと読みにくさを感じたが、常にビジュアル的なイメージを喚起される(東映特撮っぽい)作品だった。
クラインの壷 (講談社文庫)
現実と仮想現実の世界。その境はいったいどこにあるのか?読んでいて
分からなくなってしまった。あたかも実際に触れたように、見たように、
食べたように・・・。仮想世界で体験したことを、実際に体験したように
錯覚する。ゲームの世界なら、それはとても魅力ある世界を体験できる
ことになる。だが、それを別の目的で使ったとしたら?人が人を操作する
ことも可能だ。また、人間の人格を破壊することも可能だ。これは、恐ろしい
兵器となってしまう。彰彦はいったいどの世界にいるのか?その謎が読み
手を作品にのめり込ませる。この作品は1989年に刊行された。だが発想は、
まったく古さを感じさせない。むしろ現代に通じるものがある。ラストは、まだ
その先を読みたいと思わせるものだった。気になってしょうがないのだが・・・。
そばかすのフィギュア (ハヤカワ文庫 JA ス 1-4)
『永遠の森』を読んで菅氏のファンになりました。本短編集は初めて手に取りましたが、いずれの作品も物語としての完成度が高く、素晴しいです。デビュー作「ブルー・フライト」は高校在学中に発表されたとのことで、脱帽です。『永遠の森』、『五人姉妹』においても日本の古典芸能をテーマにした秀作が収録されてますが、本短編集の「お夏 清十郎」も、SFと日本文化の美しい融合を堪能できます。短編集『雨の檻』をお持ちでない方はぜひ。
アイ・アム I am. (祥伝社文庫)
文庫で150頁あまりの中編。ラストには胸が熱くなったのと同時に、
できれば長編で読んでみたかった、とも思いました。
話に引き込まれて、さあこれからというところで、もうラストが
来てしまったみたいな。うーん、なんかもったいないなあと。
目覚めたら機械のボディになっていたミキが、病院で患者の介護に
あたりながら、「自分は何者なの?」と問いかけていく話。
生きること、死ぬことが身近に感じられる環境の中で、
自分は一体何者なのだろうと問いかけていくミキ。
彼女が必死に記憶を探り、答えを見つけようと思い悩む姿は、
見ていて胸が締めつけられました。
それと、菅さんの文章、擬音の使い方がとても上手ですね。
そう感じた箇所を、本書の最初のほうからいくつか抜き出してみます。
<< つるり、と簡単にふたりの名前を思い出した。>>
<< すると、むくっとした感触で記憶が湧き上がり、
自分の姿を理解することができた。>>
<< 総看護士長の顔がくしゅっと歪んだ。>>
擬音語を使って、あるイメージをさっと掴まえて表現しているところ。
うまいもんだなあと感心させられました。
「より良く生きること」とか、「人間らしさ」とか、「ロボットの存在と
役割」とか……。
色々と考えさせられる作品でした。
永遠の森 博物館惑星 (ハヤカワ文庫JA)
私には小難しい論評はできませんが、本当にお勧めの作品です。
元は星雲賞を取ったSFということで手にした作品ですが、菅さんファンになったきっかけの作品となりました。
女神の名を冠したコンピュータに脳を直接接続する学芸員というSFと芸術のミックスを舞台とし、魅力的な人々との間に織り成される物語・短編集となっています。
なんといっても雰囲気と登場人物が魅力的な作品だと思います。
読みやすい作品でもあると思いますので、是非読んでみていただきたいです。