復讐するは我にあり [DVD]
今村昌平はきわめてユニークで、ある意味日本的な映画監督だと思う。映画というのは人間を描くことが基本的なテーマだと思うが、この監督ほど人間の本質、日本人の業の深さを執拗に描き続けた監督はそんなにいないのではなかろうか。濃密で、見ている方が息苦しくなり、大抵の作品は見るのにエネルギーを要する。この映画は実際に起きた事件をベースに作られているが、日本の犯罪史上でも特異な事件だった。5件の殺人事件はいずれも衝動的な犯行のように思えるが、最後に自分を指名手配中の犯人と気づいていながら、匿ってくれた「味方」の女までも、その母親とともに殺してしまう。しかも、その女は自分の子を身ごもっていた。この映画を見てもその動機はわからない。犯人の持っていた「心の闇」の大きさを感じる。この映画ではその心の闇を闇のまま観客に提示する。かすかに闇の向こうに見えるのは、父親との確執だ。父親は五島列島出身のキリシタンで、戦後、漁業をやめた保証金で内地で温泉旅館を経営していた。この父親との間になにがあったのか、信仰となにか関係があるのか。なんど見ても重く、ズシンとくる映画だ。人間というものを濃密に描いたこの映画を支えるキャスティングが素晴らしい。犯人役を演ずる緒形拳はもちろんのこと、殺される愛人役の小川真由美、父親役の三国連太郎、妻役の倍賞美津子、そして、忘れてはならない愛人の母親役を演じた清川虹子、いずれも強い存在感とリアリティに溢れた演技で見る者を圧倒し、画面に引きずり込まれた。何度見ても手に汗をかくような、考えさせられる実話犯罪映画の傑作だ。
復讐するは我にあり (文春文庫)
本作は、実際に起こった連続殺人事件を基に傍聴マニアとして名高い佐木氏が再構成したもの。「復讐するは我にあり」という言葉は聖書からの引用で「復讐は人間の手によってではなく、神の手によって行なわれる」という程の意味。緒形拳主演で映画化されて好評を博したが、主人公の破天荒な生き方に焦点が当てられていたため、原作の意図が伝わらない恨みがあった。
主人公の父親は旅館を経営しているが、元々は隠れキリシタン村出身の漁師。即ち、主人公一家はキリスト教徒で、これが作品の意匠に繋がる。前半は、警察の追跡と主人公の逃避行が描かれ、それなりに読ませるが、作品の主眼は逮捕後の主人公の心理描写にある。最初は反抗的な態度を取っていた主人公が次第に態度を軟化させ、死刑判決確定後には隠れキリシタン村で祖母に教えられたという"オラショの歌"を心の支えとする。そして"自らの死"を受け入れる過程が「復讐するは我にあり」という題名と見事に調和している。
実話に基づいた破天荒な人物の行動・心理の軌跡を、聖書の言葉と同期させて描いた犯罪心理小説の秀作。
復讐するは我にあり [DVD]
「復讐するは我にあり」とは聖書の言葉ですが、緒形拳扮する連続殺人者の父親が三国連太郎扮する神父ということで、まさに人間存在の原罪をテーマに見事な作品に作り上げました。今村昌平監督としては、傑作「神々の深き欲望」以来10年ぶりの本格的な映画作品で、前作をも凌ぐ気合の入った作品になりました。相手を務める女優陣(小川真由美・倍賞美津子)がとても魅力的で、小川真由美は年齢とは別にとてもかわいらしいし、倍賞美津子は義父さんとの入浴シーンが素晴らしいです。ラストは骨になっても空から2人を見張るように、空に舞う遺骨のストップモーションで終わりますが、最後まで見る者を圧倒する演技と映像で迫ってきます。
今村昌平監督、日本映画の真の巨匠でありました。