悪魔のささやき (集英社新書)
説得力があるし、なんかとっても怖かった、私にいつか悪魔のささやきが聞こえたらどうしよう、なんていう馬鹿らしい?事を考えてしまったりした。
結構独論が書かれているし、この作者の本を読むのは初めてだけど、題名に引かれて買ってしまった、
犯罪者=異常者ではない、誰もが犯罪者になりうる、自分と全く異次元の人間だと思って
安心してたら駄目だよ、一度も法を犯したことのない私だっていつ、犯罪者になるかわからない。
不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)
日本人が自分自身の内面を見つめ成長していくことを忘れてしまっている。そのために、外部の風潮や意見など自分ではない者の意志に流されてしまう日本人の心の危うさを、3年前に出された本で、著者は説きました。個としての自己を育てることが出来ず、皆が同じような行動をし、結局破滅に陥ってしまう。本書は、それを受けて、日本人がなぜ不幸になってしまうか、どうすれば幸福になれるかを、フランスでの臨床医経験、日本での拘置所の医務技官の経験、小説家の目を駆使して、より具体的に説明されています。
先ず、不幸の原因を日本人の考え方の癖に、求めています。日本人は、苦悩を考え抜かず、自己憐憫に陥るか、他者のせいにしてしまう。また一方、日本人は他人の目を気にしすぎて、個を確立することができない。生活環境や社会の空気など、個人の確立を阻むものも多い。次に心の原因だけでなく、社会的な次元での不幸の原因を究明。経済至上主義、公共事業優先の問題、不幸に陥った時に防ぐ仕組みがない現代日本社会のあり方を、詳細なデータと共に、批判的に解明しています。そのように内的にも外的にも幸福になるのが難しい状況のなかで、どうすれば幸せに生きられるのか。著者は、幸せに生きる術、「こつ」を、しなやかに考えて、積極的に新しいことに挑戦していくような考え方の転換に求めています。
著者は、68才で、新に長編の創作を決意し、75才で韓国語を習い始め、80才になっても自分のペースを乱すことなく、長編小説の創作に勤しんでいます。野菜や果樹を、自分の庭で育て一家を支えている農夫が、夕方になると年経た栗の木の周りに腰掛けて、老木から人生の知を聞き、忍耐と心の平安を教えられるという童話が、ヘッセの「庭仕事の愉しみ」にあります。本書を読みおえて、そんな農夫の気持になりました。著者の老いへの積極的な構えを知り、人生の大事を新たに学んだ気がします。
宣告 (中巻) (新潮文庫)
楠本他家雄が起こした事件背景を日記で語っている。私はかなりはまりました。事実を読んでると思うとすごく怖かった。彼の心情がわからないでもないというかなんというか。
人間誰しもどん底の気持ちの時はあるけど、やはり人を殺すことを考える人は普通の人とは違うのかなぁと思いました。
きのこ文学名作選
きのこ文学のファンの方はもちろん、広く文学を愛する方にお薦めしたい一冊。
よくぞここまで広くきのこ文学を渉猟し、名作を掬いあげたものである。ジャンルは、小説から詩歌、狂言にまで及び、今昔物語の世界から現代文学までをカバーしている。
中でも私には、萩原朔太郎、加賀乙彦、村田喜代子、八木重吉、北杜夫などの作品が印象深かった。
脳細胞の中に菌糸が繁殖していく感覚を与えてくれる作品群。「きのこ」の中に、人間の内面世界のほの暗く湿潤した部分と通底するものがあることを実感させられる。
更に愕くのは、本書全体がこれでもかといわんばかりに、凝りに凝ったデザインで満たされていることだ。一作ごとに紙質、色が違い、フォントが違い、レイアウトが違う。変幻自在のデザインを楽しむことが、掲載作品それ自身の味わいを倍加させてくれる。
飯沢耕太郎という存在がなければ、こうした本の刊行も現実のものとはならなかったに違いない。ぜひこの味わいを実感してほしい。
雲の都 第四部 幸福の森
これはなんでも「自伝的小説」らしいが、自伝にしては小説的過ぎて?全部が嘘かとも疑われるし、小説にしては文章が緩すぎてまるで素人のようで戸惑う。自伝と小説の2つの要素を恣意的にアマルガムにしているために作品に芯が無く、一個の読み物としての主体性が希薄であると感じられる。
同じ「自伝的小説」でもトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」ではこういう不安や不安定はさらさら感じないから、おそらくその原因は、著者の枠組みの設定と文体・文章の吟味が甘いのだろう。後者については渡辺淳一や塩野七生と共通するものがあるが、この2人はあれほど酷い文章を書いても構造自体はきっちりしている。
そのことは、著者の文章と著者が本書で引用している死刑囚の迫真の文を比べてみるとよく分かる。著者は自分の人世に決定的な影響を受けたこの出会いから多くのものを学んだと告白しているが、文体の深さと重さと鋭さについてはまるで無関心だったらしい。
しかし先祖の韓国や韓国人とのつながりなどや、妻とは別の女性との間に出来た息子の自殺やゲーテの故地への訪問記など、文想が乗って来ると精気がみなぎる。出来不出来の差が激しいバレンボイムの演奏のようだ。
われもまた2012年夏の海の点景となり終せぬ 蝶人