なぜ古典を読むのか (河出文庫)
イタリア人作家による、古今東西の古典を自由自在に論じたエッセイが32篇。表題「なぜ古典を読むのか」という、カルヴィーノらしい軽妙なエッセイが巻頭に置かれ、その後は「オデュッセイア」、オウィディウスから「ロビンソン・クルーソー」「パルムの僧院」、バルザック、トルストイ、そしてコンラッドやヘミングウェイ、ボルヘス、レーモン・クノーまで、取り上げられている作家・作品はさまざま。ガッダ、パヴェーゼなどイタリア人作家を取り上げた文章も比較的多いのが、イタリア文学好きには貴重です。
訳者あとがきによると、これらの文章はもともとイタリアのエイナウディ社の文学叢書のまえがきとして書かれたものが多い、とのこと。その訳者は須賀敦子さん。本書でもすばらしい訳文を堪能させてくれます。
カルヴィーノ好き、そして文学を愛する人必読の、贅沢なブックガイドです。
愛の嵐-無修正ノーカット完全版- [DVD]
作品としては文句なしの名作なのですが、このDVDの画質に関しては星1つです。同じS・ランプリングの「さらば愛しき人」「地獄に落ちた勇者ども」の画質には及ぶべきもありません。しかしながら画質の悪さを凌駕する凄まじい、ひとつの愛の形を描いたリリアーナ・カバーニの演出、D・ボガードとランプリングの鬼気迫る演技には星5つです。後半、ほとんどセリフが無くなる動物のようなランプリングの存在感(貴婦人然とした前半が見事に効果を上げている)、映画史に残る有名な裸体にナチの制服をまとって歌うシーンは、やはり一見の価値ありです。
でも背表紙にまでデカデカと入っている無修正ノーカットの文字は恥ずかしいです。どうして、こうなっちゃうかなあ。予告篇付きです。
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
子どもから大人になりかけの、背伸びをしたい時期にぜひとも読んでほしい。
人生は夢や希望だけじゃなくて現実もしっかりあって、つらいことや悲しいことが他人事のように繰り返されていく。
でも、そんな日常の中にも美しいものがちゃんと見つかる。この本を読めばそのあたりの諸事情が、マルコヴァルドさんを巡るもの悲しい空気の中でなんとなくわかるかもしれない。
読み終えたとき、うさんくさい夢のサイズはちいさくなるかもしれないけれど、人生のサイズは大きくなるはず
イタリア民話集 上 (岩波文庫 赤 709-1)
イタリア旅行後、イタリアについて更に知りたいなと思っていた矢先に
書店で発見、早速購入し読んでしまいました。
本書上巻には33話が掲載されており、登場人物の勇気や叡智を称賛し
幸福を手にする結末が多いので、絵本を卒業した子供に読み聞かせるのも
楽しいのかなと思います。ただし、多少話に毒が含まれていたりもします。
幸せを手にした主人公がその後ぽっくり逝ってしまったりするので・・。
世界の民話を知りたい方や、イタリアについて興味がある方はイタリア人の
気質をうかがい知る一つのアイテムとして手にするのも良いのではと思います。
カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ (岩波文庫)
カルヴィーノ、なんて言っても知らないだろう。戦後イタリアの国民的人気作家だ。寓話的ファンタジーを得意としている。その彼が1985年にハーバード大学に招聘され、連続講義を行った。その遺稿がこれだ。
彼は、文に書く、ということの意義を6つに整理する。軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性、一貫性。なぜわざわざ文にするのか、存在の重さを離れ、出来事のつながりを駆け抜け、現実よりも綿密に、幻想に本質を掴み、世界を総覧する。残念ながら、一貫性に関する第6講義の遺稿は無い。その一方、講義では使われなかった、「始まりと終わり」という第8講義のメモが入っている。
欧米の諸大学の文芸学で驚かされるのは、日本の諸大学の文学部のような、ちまい作品解説や作家研究などやっていない、ということ。文学というのは、あくまで哲学のひとつで、古今東西の書かれたものどもを一網打尽、縦横無尽に我がものとして語り取る。このカルヴィーノの講義も、その種のもので、エジプト神話や、ボッカチオ、ドンキホーテ、シェイクスピアから、近年のボルヘス、そしてSFやファンタジーまで、人間の書き伝えたものとして、まったく同列、同時代的に扱い、そこから自分が、21世紀が、文でなにをすべきかを語り出す。
こういう文芸学の基本が違いすぎて、日本では理解されがたい、と思う。だが、そんなことは関係ない。いま、言葉に携わるなら、当然に読んでおくべきものだ。小手先でうまい文を書こうとする前に、文を書く、ということが何をすることなのか、この講義を通じて、しっかりと考えておこう。