バッハ:フーガの技法
ブーレーズが編成したアンテルコンテンポランの天才児ももはや熟年世代。メシアンやリゲティなどの現代曲のスペシャリストと鳴らした彼も、最近ではドビュッシーやベートーヴェンの正統派音楽でも素晴らしい演奏を聴かせてくれる。それが、ついにバッハ、しかも「フーガの技法」という尋常ならざる難曲に踏み込んできた。
かのG・グールドもパイプオルガンで演奏しており、ピアノでの録音は高橋悠治ぐらいのもので、いかにチャレンジングなものかわかる。思えば、均衡と対称、構造主義の原点ともいうべきこの曲は、12音の新ウィーン楽派以降の現代音楽の本尊ともいえるのだから、エマールにふさわしい。事実、ノートでの対話では長い間気にかけてきた曲で満を持しての録音とのこと。なぞと不思議な音楽的情動に満ちた曲を、グランドピアノの技法の極致を尽くしての演奏は知的なスリルでいっぱい。何度も繰り返し聴いていきたい。
ドイツグラモフォン移籍後の初録音。エラート時代に比べてシャープさに欠ける音質なのはどうだろうか。バッハのポリフォニーにふさわしい音質かどうかは疑問。
リゲティ・エディション6 鍵盤楽器のための作品集
鍵盤楽器は、その機能をどのように利用するかでまったく異なる演奏効果がえられる。ピアノは鍵盤により操作する、ハンマーが弦を叩く打楽器であり、チェンバロは鍵盤により操作する撥弦楽器である。また、オルガンは、鍵盤による操作される管楽器である。本作品には、それらの機能を十分に生かした作品が納められている。チェンバロはバロック時代の楽器と思われがち(きめつけられがち)であるが、本作のなかではつづれ織のような様相をみせる。非常に美しい。また、オルガンは管楽器特有の持続音を活かした持続するクラスターを聞くことができる。従来の鍵盤とは異なるものを聴くことができる。お勧めです。
メシアン:トゥーランガリラ交響曲
隙の無い演奏だと感じました。ピアノが本当に巧く、全く飽きさせられません。「トゥーランガリラ」の名が十分に納得できました。ノッた演奏ですが、雑なところが無く、さすがという気持ちです。
この安さがさらに魅力的です。それですので、メシアンを聴いたことが無い方にもお勧めできます。
シューマン:謝肉祭
当初は「指揮者アーノンクールが協奏曲を録音するときのピアノ奏者」で、次いで「近現代音楽のすぐれたピアニスト」であったエマールが徐々に活動領域を広げて、ついにロマン派のピアノソロ曲をリリースするようになった。もともと、彼は私の中で、アーノンクールと録音したベートーヴェンやドヴォルザークを聴いた限りでは、「楽譜に忠実だけれども、没個性的な面もある」と感じていた。けれども、ここに来てその評価がいい意味で覆った。
これは2006年、ウィーンでのライヴ録音。まずこれに驚く。おそらく、教えられずに聴いただけでは、「スタジオ録音」だと思ってしまうのではないか?それほどこの録音はノイズがないし、演奏は万全にコントロールされている。ライヴだからといって熱したりせず、それがこのピアニストの近現代もので見せる理知的なパフォーマンスと繋がっているというのはあながち穿った考えでもないと思うけど。それにしても見事なテクニックである。
演奏のスタイルはきわめてシャープだ。音の膨らみを警戒し、肉付きを排し、細やかな音によってつむがれたガラス細工のような音。その音によって、微細な和音や分散和音のコントロールを行っていて、ぐっと聴き手の耳をそばだたせる。ある意味クールすぎる演奏かもしれないが、決してつまらない演奏ではなく、きわめて美しい。例えば交響的練習曲の第5変奏の、万華鏡のように細かい破片を幾何学的に散りばめたような音の特異な美しさは、他の演奏では感じられなかった性質のものである。
好きな人はとことんハマる演奏だと思う。