コズミック・ミュージック
M1とM3がコルトレーン生前・66年の録音。66年コルトレーン・サウンドの特徴である、コルトレーンとファラオ・サンダースのサックスが咆哮するパターンの曲だ。特にM3は冒頭は穏やかなマントラで始まるのに、すぐに混沌としたフリーの世界に突っ込み、最後はまた穏やかになってマントラの唱和で終わる。嵐の合間に一瞬の静寂が訪れる、という私の好きな66年・コルトレーン・サウンドの1例だ。
M2とM4はアリス・コルトレーン、ファラオ、ジミー・ギャリソンにベン・ライリーがドラムとして加わったカルテットで68年に録音した曲。どちらもアリスが作曲し、アリスのピアノがリードする。M2はゴスペル風でアリスの力強いピアノが聴ける。M4は短いが、夫を追悼するかのような静かな曲。アリスの流麗なタッチが冴える。
夫の在世中はバックで支え、死後は夫の遺志を継いで未発表作を適切にリリースし、かつ自らも創作活動を継続したピアニストとしてのアリス・コルトレーンの存在の大きさが光る作品だ。
Cosmogramma (WARPCD195)
Flying Lotus: CosmogrammaについてFinancial Timesの音楽紹介のセクションで初めて知った。
その記事で一番印象的に残っていた紹介文は、もしジミヘンが生きていたらこんな音を作っただろうという様な
説明であった。ジャムセッションを重ねながら音を編集したこのCDは、独自のスペース浮遊観と強烈なリズム感の
新世界感を作っている。2曲目の強烈なベースソロは、特にお勧め。
啓示 (紙ジャケット仕様)
santanaがalice coltraneとコラボレートした有名な1枚。これは現在の眼で見てもモニュメンタルな録音だったと云えるだろう。
aliceとの共演はsantanaの希望だった由で(その経緯については岩浪洋三さん(!)の手によるライナー・ノートに詳細が書かれている)…当時ロック・スターだったsantanaが、実質はどういう処を見ていたのかがよく判る。何しろその相手が由りによってalice coltraneというのは凄い。バックのメンバーもdave holland、tom coster、jack dejonette達…と完全にジャズ人脈である。
ロック・サイドからの興味のみで聴けば、これは正直かなりキツい作品だろうが、当時のalice coltraneのソロ作を何か1枚でも御存知の方はすんなりと入れるだろう。終始厳かで、かつ穏やかな音空間に満ちている。彼女の当時のソロ作(impulse盤)の中には相当に激烈な演奏も多いのだが、ここでは祈りの様に穏やかな印象を与える楽曲ばかりだ。
aliceはアグレッシヴな後半の1曲でのウーリッツァー・オルガン演奏を除いてハープに専念。夜の大海の、絶え間ないうねりの様な弦楽のアレンジメント…。そして彼女の生み出すうねりの中を泳ぎまわる魚のようなsantanaのギター。
…もしかしたらsantanaはaliceのうねりの中に身を投じるようにして、自己の音(ギター)で祈祷していたのかもしれない。中袋に載っているセピア調で写された一葉の写真。眼を閉じて祈るsantanaを聖母のように優しい眼差しでじっと見つめるalice…。この写真に充満する何ともいえない雰囲気が、まさにこのアルバムの音世界を体現している。こういうコラボレートは有りそうで滅多に無いものだと思う。santanaとalice…。改めて考えても、やはり凄い作品だ。
Cosmogramma [ボーナストラック・解説付き国内盤] (BRC254)
最新形のヒップホップ型サウンドスケープにして、
デスクトップで紡がれる23世紀の思い出、
或いは電子頭脳が見る夢。
コルトレーンの血統を継ぐ(継いでるのかな?)最先端トラックメイカー、
2年振りのオリジナル・アルバム。
オラトゥンジ・コンサート
現時点で所在がわかっているコルトレーン最後のライヴ音源。演奏日時・場所は67年4月23日午後4時、NYハーレムのオラトゥンジ・アフリカ文化センター。
オラトゥンジ文化センターとはナイジェリアのミュージシャンであるババトゥンデ・オラトゥンジの名にちなみ、アフリカの文化を後世に伝える場として創設された。完璧な録音ができる場所ではない。外の車のクラクションが聞こえるほどだ。そこにポータブル・レコーダーを持ち込んで、「記録」のために録音され、アルバム化まで35年もお蔵入りしていたテープ。したがって、録音状態は良くない。
残り少なくなった命がしぼりだす、凶暴なまでの、魂の咆哮という表現がぴったりの爆音ライヴ。ロックに例えるなら、キング・クリムゾンのアースバウンドのようだ、と言えば理解してもらえる人が多いのではないだろうか。録音の悪さが却ってコルトレーンの演奏の芯を際立たせる逆説。がんに侵され、3ヶ月後に他界する人が出すエネルギーとはとても思えない。
マイ・フェイヴァリット・シングスは原形をほとんど留めないが、コルトレーンが繰り返し演奏した曲が遺された最後のライヴ録音となったのも奇遇。突然終わる録音が、却って余韻を残す。