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寛流・韓国初ライブ2006(紙ジャケット仕様完全限定盤)
さすがに先生のライブはテンションが高い。
曲中、語るように歌うところはほんとに
語るようだ。狂ったように叫ぶところでは
先生の健康が心配になった。
韓国での初ライブということ気合い充分だ。
充分すぎるかもしれない。マイクや
ミキシングの問題か、はたまた先生の気合いの
せいか、音声が割れ気味で聴きとりにくい
ところがある。ライブの迫力とセットなので
問題にはならないが。
韓国での評判はどうだったのだろうか。
韓国語で直に歌えば、未だに日本に帰国でき
ないぐらい人気者になることは間違いないだろう。
先生のファンなら即買いだ。
怖いもの見たさでも買うべきだ。
韓流ファンが間違えて買っても全身が震えるはずだ。
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不可能性の時代 (岩波新書)
概して面白く読めたが その「面白さ」はあくまで著者が本書で語る「物語」の面白さであり それが本当なのかどうかについては 留保が必要ではないかと感じた。
例えば著者は「酒鬼薔薇聖斗事件」「地下鉄サリン事件」などに 時代を読み込もうとしている。
著者が読み込んだ「物語」は読んでいて説得力には満ちている。しかし一方 それらの事件が 果たして時代を代表するような出来事であったかどうかに関しては 同時代に生きた僕としては説得されなかった。
事件にまとわりつく「記号」を分析する知性には感心しても その記号は そもそも特殊ではないかという印象が最後まで残った。
ましてや松本清張のサスペンス小説「砂の器」を取り上げ 主人公の本浦を 「本裏」=「裏日本」と読み込んでしまう著者の「深読み」を考えてしまうと それ以外の著者の読み込みも もしかしたら同レベルに「面白く」かつ「深読み」ではないかと感じてしまうのだ。
その上でオタクを巡って 現代を読み込む手法に関しては 「そもそもオタクがこの時代を切りとる正しい切り口なのか」という前提を押えるという手続きに欠けている気がした。
現代の日本社会を分析するにあたり オタクという「特殊な記号」が どれほど有効なのかが僕には説得的ではなかった。
「オタク文化を読み解くことの面白さ」は本書でも十分に感じさせられるが それが 現代の日本のすべてとは思えない。今の日本を高齢化社会だと考えると その高齢者たちが オタクだとも思えず 従い 日本のある一定以上の人たちを外した日本論の有効性が ぴんとこないのだ。その意味でも 前記の手続きがほしいと思った。
著者の博覧強記と 語り部としての才気はすさまじい。それがある意味で裏目に出ている気もした次第だ。繰り返すが 大変面白い本ではあるのだ。
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裁かれた命 死刑囚から届いた手紙
古い事件にもかかわらず,執念深く取材されているし,展開もドラマチックだし,面白く読んだ。最後までパズルの「ピース」は足らないのだが,それでも少しずつピースがはまっていき,全体像が見えてくるストーリー展開に引き込まれる。
発端は元検事へのインタビューである。元死刑囚から頻繁に届いていた手紙。その内容に元検事は驚き,刑が執行された後もそのことが心から離れない。関与した弁護士や,証言に立った知人,地域の住民,親戚など,幅広く取材を重ねながらストーリーは続いていく。
古い事件でもあり,取材はトントン拍子に進むわけではない。なかでも,元検事の人が,現在の司法当局の対応に憤る場面はシュールですらある。元検事は司法当局の情報公開の壁に,この事件の情報公開を求めて初めて気づくのである。
被害者への記述が少ないが,あとがきにある通り,本書が狙っていることからはずれるのだろう。「事実」は丹念に掘り起こされているが,それでも本書はひとつの「物語り」であり,被害者からの別の見方もありうることは認識しておきたい(それでも,卓越した「物語り」であり,ぜひ読んでほしい)。
とはいえ,そのまま風化してもおかしくない年月がたっているのに,こうして新しい書物が生み出されることで,記録や記憶が残されていく,ということも不思議な感覚だ。事件の数だけ多くの事実が残されているのだが,それを掘り起こし物語る人がいなければ,そうした事実(物語り)は消えていくのだな,とも思った。
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無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)
4人の命を奪った永山則夫は、獄中で本を貪り読み字を学びながら、生まれて初めてノートを綴りました。そして「無知の涙」を書きました。
極貧の生活環境が彼の犯罪を引き起こしたとされたことからその著書も注目されるわけですが、私たちの多くは、普通の教育を受けながらも本を出すということはそうあることではありません。
永山則夫がまともな教育を受けていたら4人の命が奪われるという事件は起きなかったかもしれません。そして、「無知の涙」とは縁のない本を書くこともあり得たのではないかとも思います。そのことを思うと、教育の重要性を痛感します。
彼の著書は、普通の教育を受けた人以上に社会に向けて問題提起している面があります。獄中生活を送る中でしかそういう能力を身に着けざるを得なかったことが残念でなりません。
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まなざしの地獄
見田宗介が書き残したモノグラフの再版。犯人が眼差しの地獄から逃れようとした過去から、眼差しの不在に耐えられない現在へ。この社会変化をどのように理論化するかが問われている。見田、大澤ともに秋葉原の無差別殺人を、現代の非実体的な抽象的システムへの反乱であると考えている。これ以上、匿名の「誰でもよかった」犠牲者を生み出さないためにも、いまここでの生き難さの原因を、強靭な思考力と分析力で提示することが必要だろう。あまりに強すぎる日本人の自己責任感へのしがみつきが、このシステムに対する批判的分析を妨げ延命させているのではないか。この再版を契機に、半端な構造改革を超え、抜本的な変革への期待が急激に高まることを期待したい。