羆撃ち
羆撃ち 久保俊治 小学館 2009年
久保氏(1947−)のハンターとしての人生。
趣味でなく猟を生業としたいと子供の頃から考え山で生きる決意をする。さらに75年にはアメリカのハンターガイド養成学校にも入学してアメリカでの狩猟やガイド経験を持つ。
読んでいて思うのは、自然や動物に対する愛情の深さである。また猟犬として育てたフチとの生活の記述などは犬と心の会話が出来る魂の純真さをあらわしている。
生あるもの斃し、肉や毛皮を生きる糧にする猟師、森に生かされる人間が自然の中で限りなく動物と対等な立場で対峙する。
狩猟サバイバルなどと言って遊びで鉄砲を使うもの書きとは根本的に異なるノンフィクションである。
同じく北海道で久保氏より前に生きた今野保氏のいくつかの著作と同じ匂いがする作品である。
こんな文章を読むと、街で暮らす人間の生に対する脆弱さを感じざるを得ない。
鹿を撃った後
恐らく痛みも感じる間もなく倒れ、命が消えようとしている。もし魂があるならば、その魂が野生に帰っていく最後の動作のようにさえ思えてくる。致命傷を負いながら必死で生きようとする野性の生命力にも驚かされるが、意識と敵意のまったくない静けさの中で繰り返されるこの動作に、私は野生の持つ神々しさ、崇高さを強く感じた。
命への責任
自然の中で生きるものの価値とは何だろう。生命とは死とは何なんだろう。そうか死だ。自然の中で生きてきた者は、すべて死をもって、生きていたときの価値と意味を発揮できるのではないだろうか。キツネ、テン、ネズミに食われ、鳥についばまれ、毛までも寝穴や巣の材料にされる。ハエがたかり、ウジが湧き、他の虫にも食われ尽し腐って解けて土に返る。木に養分として吸われ、林となり森となる。森はまた、他の生き物を育てていく。誰も見ていないところで死ぬことで、生きていた価値と意味を発揮していく。
二人のお嬢さんが小さい頃の記録テレビ番組が大草原の少女みゆきちゃん [DVD] としてあるようだ。ぜひとも見せていただきたいと思う。