バッハ:イタリア協奏曲~小林道夫の芸術I~
子供のころ、小林道夫フランス組曲全曲のレコードを何度も聴いた。ニコライエーワと同じくらい好きだった。日本の伴奏者の第一人者と言われるだけあって、ソロはとても録音が少ない。このCDでソロが聴けて、しばらくぶりでうれしかった。そしてフランス組曲がCD化されていないことをとても残念に思う。NHKFMで3夜連続のライブでブランデンブルク協奏曲全曲を当時の日本のトップクラスの演奏家でライブ演奏する企画をなつかしく思い出した。チェンバロと指揮はもちろんこの方で、5番のチェンバロのソロがとても素敵だった(トークもおもしろかった)。ソロや他の演奏がCDになってもいい演奏家だと思う。80年代とはまた違う彼の演奏をもっと聴きたい。この演奏を聴いて切実な思いを抱いた。
中山悌一の芸術
中山悌一の歌は、リアルタイムでは聴いたことがなく、初めて録音で聞いたのは、「18人の名歌手が歌うシューベルトの魔王」という欧米のさまざまな歌手(女声含めて)のアンソロCDでした。そのなかで、日本語で歌われている中山氏の「魔王」を聞き、震撼しました。声もドイツ人歌手に遜色のない深いものですが、日本語が立っていて、初めてリートというものの真髄にふれた気がしました。
そしてこのCDセットに。三大歌曲集もゆったりしたテンポで、ある意味、オーソドックスに歌われています(こちらはドイツ語)が、やはり独特の情感があり、最近のドラマティックだったり、ささやくように歌い流したりするようなあちらの有名歌手のもの(ローマン・トレーケルとか、ヨナス・カウフマンとか)より、飽きない味わいを感じました。
しかし何よりもやはりすばらしいのは「荒城の月」や「二人の敵弾兵」などの日本語歌唱。言葉と音楽が一体になって、胸の奥に入ってきます。「マンドリンのセレナーデ」も全く違ったジョヴァンニ像をきかせてくれました。
(日本歌曲は習っていてもいまひとつぴんと来なかったのですが、それは、今まで聞いたCDが、日本語をローマ字として楽器のように歌っているからだったのだと思いました。)
高雅で誇り高い日本語に、楽器ではない「歌曲」の力を感じたい人はぜひ。
科学の世界と心の哲学―心は科学で解明できるか (中公新書)
デカルトの現代性が蘇る。近代的自我の起源をさぐるとき、そして近代的な機械論的自然観の起源を探るとき、必ずデカルトの名前が登場する。本書によるとデカルトは、旧来のアリストテレスの自然学体系を乗り越えることを企図した。いかに乗り換えたかは、本書P30-P32、P72-P78に要約されているとおり。その要諦は、数学に代表される形式的理論を経験から独立した存在として参照し、その上で実験と検証を通し自然を把握する点にあるとされ、近代科学の規範論的特徴が指摘される。さらに、デカルトの心身二元論以来問題とされてきた心身問題のアポリアを、すでにデカルト当人も「心身合一論」として言及していたとする(P102-P104)。最後に様々な心を対象とする領域科学の特徴が整理され、デカルトの現代性が蘇る。必要最小限のコンパクトさだが安心感がある。是非、次の新書では、最後に軽く触れていた他我問題を取り上げて欲しいです。
TOKYO FM Live SACD-SHM / ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ1974年10月17日シューマン・リサイタル
このCDは一般のCDプレーヤーでは聴けません。ご注意ください。ただ、演奏は素晴らしいので★4つです。