なぜ日本では談合が当たり前のように行われるか、の解説が非常に丁寧になされており勉強になる本。歴史解説も重厚。
論旨は「談合は国民経済的に怪しからん」という話ではなく、「なるほど談合にもそれに至る論理あり」という訳だが、それでも著者の結論は「したがって談合やむなし」ではなく、むしろ、「理屈はともかく、談合は様々の悪弊を生んでおり、やはり何とかせねばならん」ということのようだ。
だとすれば、経済学者なんだから何か処方箋の一つも書いて欲しいところだが、この本はまさに「システムの歴史と論理」に徹しており、提言などは書いていない。 カルい提言でまとめないところが重厚でいいという面もあるが、ここまでの分析をされた碩学の責任として、何か前向きな知恵を提示して欲しいものだ。冊を替えてでも。
下手な小説よりもはるかに面白いので、告発本としてではなく、単純に読み物としてもお薦めします。 基本的には過去の話で証拠も無くなっていますから、ロッキードのようにこの本がきっかけとなって何らかの事件に発展するようなことは無いでしょう。また、建設業界の関係者やジャーナリストにしてみれば、今さらそれほど驚くような話ではないかもしれません。 とはいえ、普通の人にも分かる形であの世界の内幕を明かしたことは意味のあることだと思います。 また、ここで取り上げられている談合というのは、そのほとんどが著者の関わった国鉄清算事業団の土地入札に絡むかなり特殊なタイプの事例であって、一般に談合事件として取り上げられるようなものを想像していると、イメージとは違うと感じるかもしれません。 しかし、社会からの風当たりが強くなったのにともなって、建築業界においては旧来型の談合は難しくなっているので、その中でどのようにしてゼネコンが仕事を取ってくるのかという仕組みを明らかにしていると言う点において、非常に興味深いところです。
2010年暮れから2011年正月にかけて東北地方に降った大雪は、道路網を寸断し、一晩車に閉じ込められた人々も多かった。しかし、この程度の雪は本来、特異なことではなく、地域の土建業者が行政に指示されなくても除雪していることが多かったのである。今、地域の土建業者は、災害復旧にも昔ほどにはかけつけない。かつては土建業者は、それらの自発的行為がいずれ「入札」によって報われることを知っていた。非常に曖昧な行政と地域社会に生きる業者の持ちつ持たれつの関係であるが、生活の安全弁としてかつては間違いなく機能していた。そして、それは、現代的「入札制度」によってもはや破壊されている。 博学な宮崎氏は、江戸時代の「寄合」を含めて郷村における争いの解決法にも触れているが、氏の指摘する通り、農民は農閑期には藩の土木工事の請負を積極的に行って、現金収入を得ていた。この組織が、一旦、ことあれば、「百姓一揆」の戦略的母胎となったのである。具体的に言えば、江戸時代の百姓一揆で大きな影響を与えたものはこうした側面をほとんどの場合持っていた。 「良い談合」と「悪い談合」。まことに悩ましい問題だが、行政上の規則においてこういった視点を加味した対応は少なくとも不可能ではない。「談合」そのものを容認するわけではないが、「入札制度」もよく見れば、地域の実態に合わせた現実的な対応をとろうと制度的な工夫をしている部分もある。地域経済を、厳格な入札制度で滅ぼすことは住民の生活を考えれば本末転倒である。そういった工夫がどこまで可能か、それが問題である。
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