白石一文の「一瞬の光」は「男性主義」や「エリートの鼻持ちならぬ自慢話」、「かっこつけのナルシストの話」などと批判されることがある。また肯定的な意見の中にも、お涙頂戴の「ケータイ小説的な感動」を評価するものもある。しかし、いうまでもなく、それらは誤解だ。作者は、世間的な価値観(ルックスや、学歴、家柄など)や男性的な本能(暴力性や性欲など)などから解き離れたところに生の充実があり、そういう充実感の中でこそ幸せな恋愛ができ、豊かな人間関係が築けるということを言おうとしている。これは全著作で一貫している。橋田をイケメン、高学歴、高IQ、エリートに設定したのも、瑠衣のような女性を登場させたのも、そういう世間的な価値観が人生の充実にそれほど関係がない、ということを説得力を持って読者に伝えるための道具に過ぎない。そしてこれがストーリーの軸だが、「そんな世間的な価値観を追い求める結果、虚無感に陥った人間(橋田)がどのようにその状態から抜け出していくか。」ということを橋田という主人公を使って、考えていく。そして考えるヒントが作中に散りばめられている。これは一流の思想書である。決してハードボイルド小説やケータイ小説ではない。
この本を読んだ彼女が怒ってしまった。 こんな女はいない!ということらしい。 確かに、物語に出てくる女たちは、どれも物語を展開するための小道具でしかないような印象を受ける。 ラストシーンも、早々に予想できた。 白石一文は女を描けないという批評をよく目にするが、この本でも、やはり、女をリアルには描けていないように感じる。文体は美しく、面白くなくはないが、なぜか共感できない自分がいる。
どう受け止めていいのか分からない、というのが読後まずの感想。
作者自身が「シンクロニシティ」を強く意識してる人なのは『見えないドアと鶴の空』を読んだからよく分かってる。だから、この小説の内容に関しての一切の予備知識がない状態で、単にAmazonからの「おすすめ」にピンと来たからという理由でこの本を手に取って、舞台が東京から神戸に移ったところで「あー、なるほど。」と膝を叩いたのは事実。
というのも、私は生まれてから27年間京都で育ったのだが、震災をきっかけにある女性との一度切れかけた縁を結び直してその結果14年前に神戸に移ってきたから。でもその人との縁はその後すぐに切れてしまって、程なくして神戸に来た直後に出会った別の女性と結婚して元町に住むことになって、と。
その生活が終りを告げたのが5年半前になる。で、今私が「運命の相手」だと思っている相手とはまだ出会って1年経過したばかり、かつ彼女は子持ちの人妻だ。この先どうなるかどうかは分からない、けど少なくとも別れた嫁さんと一緒にいた時の自分よりも今の自分の方が世界、および自分自身の「あるがまま」と向き合っているという自覚がある。離婚したからこそ見えてきたこと、かつ離婚した後丸5年半を独りで過ごしたからこそ感じるようになってきたことがある…と強がりじゃなしに思う。
「結婚」って、そんなにすごいものなのか。それにすがることで他の色んな事の価値が相対的に色褪せるような、そんな「核」になりうるものなのか。そこの部分の説得力が、私には全く響いて来なかった。この作者はこれまでどちらかと言えば結婚はしたものの、そのパートナーとは違う異性こそが本来の自分の結ばれるべき相手=「真のソウルメイト」だ、というような話を多く書いて来た人だと思うし、うん、そっちの方が自分的には説得力があったのだが…。そろそろ「ファンタジー」を卒業して「現実回帰」を目指そうというのか。でも、震災とか不況とかに痛い目に合わされて、でも誰も自分の側にいてくれなくて己の魂と向き合うしかない数年間を過ごした人間からすれば、結局「甘ったれ」にしか思えないのも事実なのである。この作者の書く物語の主人公は。
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