合法的に飛べるDVDって感じです。 よくぞこんなくだらないDVDを出してくれました。 やばいです。鉄割の面白さ+アルファーだからたまらんです。
平野さんの解説を読みたいのと、色々な人の演奏が入っているので一曲でも新しい出会いがあればいいな、という気持ちで買いました。結果は両方共にとても満足でした。平野さんのショパン評は愛情にあふれていて、しかも的確で斬新でさすがだなと感心しました。それから新しい出会いの方ですが、サンソンフランソワの弾くピアノソナタ第2番に非常な衝撃を受けました。とてつもない出会いでした。凄い緊迫感の曲なのだけれど決して叩きつけるような迫力で強引に圧倒する演奏ではなく、何か凄まじいまでの詩的エネルギーと信じられない程の柔軟で新鮮な演奏で圧倒するのです。天才作曲家と天才ピアニストの組合せが1+1=2でなく3、5、いえ10以上のものをうみだしたのだと思いました。選曲してくれた平野さんに大感謝です。ピアノソナタ第3番もあとからだんだん凄さを感じてきました。他のピアニストの演奏を聴き慣れていたので初めは「ずいぶんゆったりしたテンポだわね」位しか感じませんでしたが、だんだん凄い演奏だと思う様になりました。とてもピアノ1台で弾いているとは思えない、まるでオーケストラの様な音の厚みと深さのある演奏です。独特の豊かな雰囲気だし別の曲かと不思議に思う位の素晴らしさでした。その他の曲もどれも素晴らしかったのですが、初めて出会った感動という事でピアノソナタ第2番について主に書きました。
他者に対する父親のふるまいが許せない。父の血が流れる自分を許せない。というそぶりをするが実は自己愛の塊の主人公。 家庭はもとから崩壊し、家庭の体を成していない。 しかし、集落の祭りには参加し、共同体の一人として役割を果たしてはいる。 よくわからない。 でも、何か文学的な感じはする。ストーリーに起伏もある。中途半端な感じがまた煮えきらなくていい。 何より、細かい描写がいちいちうまくて気取っている。文章を書くのが本当に好きな人だね。 「アパートの女の目は異常なほど澄んでいた。」の後、 「夢に見たこともない別な人生が通り過ぎてゆくのを眺めているに違いなかった。」なんて、ちょっくら思いつかないもん。 こういう会心の一撃風の文がいくつもある。
一部の選考委員はこういう技巧を嫌いかもしれないけど、こんなに一所懸命自分の文章を磨いて温めて愛撫している人には、やはり賞をあげてよかった。
本作に対する反響には平野啓一郎氏のデビュー作に対するものと同質なものを想起した。 純文学の問題とは端的に言ってジャンルによる制約が無く、それ故に「書く」ことそれ自体が安易に主題論化してしまうことではないだろうか。 例えば、23歳の若者が普段使うことはまさか無いであろう擬古文で中世ヨーロッパを舞台にした通過儀礼の物語を書いたり、 漢字で記せばよいところを平仮名で書いたり、縦書きを横書きにしたり、蚊帳を「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と書いたりすれば「文学」になるのだとこの作者は思い込んでいるのだとしたら、そこには多くの問題が含まれていると言わざるを得ない。 こうした「純文学」的作品には、例えば漢語と口語を一緒くたに使った阿部和重氏の『シンセミア』やチープな紋切り型的なフレーズと暴力的な罵倒調を混在させた中原昌也氏の諸作に漲る周到な文学的戦略性が見受けられないのだ。 まずもって選考委員一人の趣味で受賞作が決まってしまう「文学賞」自体どうかと思うし、「文藝評論家」としての蓮實重彦氏にも疑問を感じる。
芥川賞は「新人作家の純文学短編」に与えられる文学賞、というイメージを僕などは持っている。 しかし、そのイメージは、賞の最初から固定していたわけではなく、文学の商業的背景や、 選考委員の顔ぶれによって、むしろ絶えず変わりながら続いてきたことが本書を読めばよくわかる。 第一回は、石川達三の『蒼氓』が受賞しているが、この時『逆行』が候補になりながら落選した 太宰治が銓衡委員の川端康成に不満を述べる小文を書いた話など、有名なものから、 輝ちゃんの扱いにくさ、慎ちゃんの頑迷固陋まで、とにかく良く調べて書いてある。
但しこうして芥川賞の作品群を見て、もう一度読んでみようという小説はなかった。 残念。
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