「武士というものは真に難しいものだ」というセリフがあります。体面主義の武家社会を真っ向から批判することができない主人公の苦しい胸の内をよく表している言葉ですね。誅さねばならないのは正しいことをした友人。しかも彼の妻は実の妹。出来るならばやりたくないが、命令には逆らえない...。
本来戦いたくない相手にやむを得ず刀を向けるという構図は、ありがちなパターンですが、本作では戦いたくない相手が親友と妹と2人もいて、武家社会の理不尽を二重構造で描いています。そこに、ひそかに田鶴を慕う新蔵という若者を配して、ひとひねりしたのがいい。武士ではない新蔵の価値観が入り込むことによって、先が読めなくなっている。ただ、悪役(?)の描き込みが浅いので、ストーリー全体が平坦な印象なのが惜しい。
東山の立ち振る舞い、正座してただ黙って眼を閉じる横顔、武士としての凛々しさが際立ち、とても良いのですが、妹の田鶴役がどう考えても、ミスキャスト。立ち振る舞いも、セリフ回しも、あの時代の女性に見えません。反対に、片岡愛之助は、出演場面少なく勿体無いと感じました。
朔之助と新蔵がたどる山形から行徳までの旅は、ある種ロードムービーなのだけれど、道中の緑深い森や山・澄んだ川といった豊かな自然を背景に語られるシーンが美しい。ただ、その道行きの中で、過去の出来事、それぞれの立場いきさつが詳らかになるというストーリー展開は悪くないのですが、途中でほとんどハプニングが起きないのが物足りない。何らかのトラブルに巻き込まれるうちに朔之助が抱えていた秘密や、新蔵の朔之助に対する歪んだ気持ちが明らかになっていくなどの工夫がほしかったところ。風景や簪(かんざし)など小道具からの連想では少々弱い気がします。
朔之助の「ゆっくり参ろう」とのセリフは、佐久間を捜し出すまでの“道行き”でもあり、近づくことは、どちらかの死に、近づくことでもあります。少しでも、先延ばしにしたい...その想いは、季節を遅らせるかのように実家の木は花を咲かせない。このあたりの描写は少々ベタではありますが、祈りを託された花は、家族たちの想いとともに、ラストシーンに呼応していくことに。
ラスト、本作のタイトル『小川の辺』というのは、『心の岸辺』でもあったことが明らかになります。原作未読の私には、意外な展開で、良かったと思います。
交通事故で命を落としたふつーのおばさん竜子が、会社で窓際族になりかけてる亭主・就職を前にのんきな大学生の長男・まだ幼い小学生の長女が心配で死にきれず、同じ事故で死んではいないが両親の不仲で生きてゆく気力を失っている女子高生・秋日子の身体を借りて自宅へもどってゆくと・・・。他人(女子高生)の身体を借りたおばさんの言動、ご想像の通りそこで様々のコミカルな展開が。しかし亭主の若い女性とのロマンス?、長男と亭主との確執、長女の家出、秋日子の両親の離婚?と物語は難題が山積みに。
終盤の海岸のキャンプでの竜子夫婦のシーン、秋日子が竜子を「お母さん」と呼ぶシーン、そして別れ。ドラマを見ていて、声を上げて泣いちゃうなんて初めてでした。未来を不安に思う子供に見てもらいたい、それ以上に現実に挫けそうな大人に見てもらいたい。きっとあなたに生きる勇気をくれるはずだから。
軍犬を主人公にしたドラマとしての価値は高い、 しかしNHKが子供向けを主眼として製作している関係からいわゆるきれい事としての戦争ドラマになっており戦争を描いた作品として大人が見た場合に感じたい苦味のような後味はかなり不足しています、 なかなかの現在のオールスターキャストなので各出演者のファンの方には十分楽しめるでしょう、
同じく軍犬を主役にした大傑作映画である野村芳太郎監督・渥美清主演「続 拝啓天皇陛下様」とぜひ比較鑑賞することをお勧めします、本作とほぼ同じ100分程度の作品にもかかわらず盛り込まれた情報量も戦争映画ならではの深みも人の営みへの敬意も圧倒的に優れていますから軍犬に興味のある方はぜひ鑑賞しましょう、
大東亜戦争終結後、軍犬と軍馬はただの一頭も本土に帰還していません、 引き上げ船に乗せる余裕などあるはずがなかったのでしょうがないことですが、その事実だけは忘れないようにしたいものです、 同じく軍で使用されていた軍鳩は朝鮮半島程度の距離であれば飛んで帰還したものがあったでしょう、
靖国神社遊就館前庭に軍犬、軍馬、軍鳩の像があり毎年慰霊祭がおこなわれています(今年は4月1日予定)、もし参拝されたときにお供物を備えるのもいいでしょう、 天神様の神牛像のように参拝者がなでられればいいだがなぜか手の触れられぬ高さに設置されているのが少々残念なのだが、
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