巻が進むに連れて、物語も深くなっているようです。 人の心に巣食う「恐れ」を描いているように思えます。
全部で8話納められていますが、最初の「叢雲(むらくも)」は読者の想像力で読ませるような作品です。 子供の頃の消し難い記憶が刻まれている男。女。 似たような経験のある全く見知らぬ者同士が擦れ違った時、事件は起きます。 5話の「菊人形」もぞっとするような物語です。 老人になって、ただ若い娘の元気な姿を傍目に暮らしたいという欲望。何をするわけではなく、若い女性が発散する気が心地よいのです。 その女性が他の男と関係していると知ったとき、老人の気持ちが揺れます。 人は決してすべてを他人に見せることはできません。 そうやって日常を過ごしています。 ほんの少し、心の隅にあるものが顔を覗かせれば・・・。そんな話が続きます。
脂が乗ってきた、という感じです。
次々と起きる怪事件を大人っぽくなった佐武ちゃんが追いかけます。
市やんは、これまで斬った亡霊にとりつかれますが、佐武ちゃんの友情で均衡を保ちます。
二人の友情が縺れた糸を手繰り寄せていきます。
石ノ森氏の絵も冴え渡っています。
自在のコマ割と墨が重々しい男と女の深い情を描いていきます。
堪能しました。
佐武ちゃんと市やんの友情に触れると気持ちが和んでしまいます。
二人の関係がとても好きです。
この作品で一番魅力を感じるのは私の場合は、そこですね。
それと石ノ森氏ならではの絵で物語を進める構成は凄いですね。
江戸の庶民の視点から世の中を映したセンスも素晴らしいと思います。
今あらためて大人の耳で聴いてみると、色々な発見があってワクワクします。たとえば「マッハ・ゴー・ゴー」なんか水戸黄門のうっかり八兵衛が歌っているのは有名ですが、バックの演奏がただ者ではないグルーブ感を出していたりします。自分はコーラス中心のリミックスよりこっちの方が好きです。「リボンの騎士」では下手なミュージカルのサントラを軽く凌駕してます。懲りすぎです富田勲先生。子供の頃レコードで聴いたのとは違って、今のオーディオでCDだとこれほど違うのかと思うはずです。
1968-73年に「ビッグコミック」「増刊ビッグコミック」に連載・掲載。あらゆる分野のまんがに名作・傑作を残した作者の時代劇。初期は中編、その後短編連作となった。アニメ化もされたようだが、それは無理だろう。当時のアニメ絵で対応できる作品ではない。
石森章太郎は疑いなく日本を代表するまんが家のひとりではあったが、ナンバーワンになったことは遂になかったという気がする。この作品でも、黒を基調とした見事な画力、むらはあるが円熟した構成、実験的手法をあえて試みる勇気など、作者の長所は遺憾なく発揮されている。筋書きなどとは関係なく、ほれぼれするような絵が随所にあり、現代においてもまったく古びていない本作品は、傑作の名に恥じないはずである。それでもなお、本作に限らず私が彼の作品に感じる違和感とは何か。それは、表現の過剰なわかりやすさである。
彼の作品には、「はい、ここで笑いましょう」「ここでは余韻に浸りましょう」などというサインが至るところにみられる。私にはそれが煩わしい。絵で何でも表現できるという自信がそうさせたのだろうか。後年、吹き出しの外に墨筆で感嘆詞を書き添える手法を多用したことで画面が非常にうっとうしくなったのも、文字さえ絵に溶け込ませようとした試みの失敗であったのかもしれない。巧さを誇示したらその価値は半減する、ということに気づいてほしかったと思う。
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