タイトルから『白い巨塔』のようなドロドロの院内愛憎劇か『チーム・バチスタの栄光』のような医療サスペンスを想像し、裏表紙のあらすじを読んでなおその第一印象をガンコに抱いたまま、半ばそういうものを期待しつつ、読んだ。
最高の形で裏切られた。勝手な想像とは全く別物の、安易な想像をしてゴメンナサイと謝りたくなるような品位ある作品だった。奥付を見れば初版は平成9年、つまり11年間もこの名作を、存在を知りながら読まずにいたことになる。悔しすぎる。
主たる登場人物たちは皆「患者」であり、それぞれがそれぞれの物語を抱えながらも、「今」現在を生きている。その「今」は季節の移ろいや奇妙な生活習慣の中でやわらかい光と共に描かれている印象だ。もちろん問題や不安要素がないわけではない。光の中に、時にじわりと過去の影や、病気の闇、病院の抱える歪みが黒々と滲み出す。
患者たちは世間に見捨てられ、病院に押し込められたのだが、一方で患者自身が病院から外へ出ることを恐れてもいる。一歩病院を出れば、そこは彼らにとって光ある世界ではない。
事件は少女を救ったと同時に、チュウさんが自身で作り出した心の中の閉鎖病棟を開け放つ後押しをすることにもなる。
裁判の最後でチュウさんが秀丸さんに向かって叫ぶ言葉が胸に迫る。
魂と魂が触れ合うような、痛々しく、だが希望に満ちた優しい小説だ。
九州、筑後川沿いの貧しい農村に水を引くための堰を築く庄屋達の苦労を描いた歴史小説。土地が、川の水面より高いため、農業用の水さえ川の水を汲んでいるような農村では、よい米どころか、稗や粟でさえも作るのが難しい。筑後川のような大きな川を堰き止め水を引くのは、とてつもない大工事で、財政の苦しい藩も簡単には動かない。農民苦しい状況を改善するため、命がけで立ち上がった5人の庄屋を、農民、武士、商人達が支えて取り組んでいく。貧しい農民達の姿や庄屋達の並々ならぬ熱意とそれを一生懸命支える老侍の描写は鮮明で、普段小説は読まない私も感動させられた。
本書もそうですが、箒木さんの小説は、情報がとてもたくさん詰まっているので、読んでいて勉強になります。
ソビエトによる侵攻、軍閥同士の内戦時代、タリバンによる恐怖政治が、庶民の生活にどのような影響を及ぼしたのか、本書を読むと良く分かります。
特に、タリバンが、女性に対し、学校教育だけでなく、歌や踊りも禁止していたなんて、初めて知りました。
それも、仕事として歌ったり踊ったりすることだけでなく、私生活上でも禁止されていたというのですから、徹底しています。
本書の最後で、箒木さんは、アフガニスタンから農業実習にやってきた留学生のお話を取り上げ、アフガニスタンが平和になり、
アフガニスタン特産のザクロが日本でも食べられるようになる日々が来て欲しいと祈りつつ、本書を結んでいます。
本当に、アフガニスタンの人々が、毎日毎日、安心して暮らせるようになる日が来て欲しいです。
主人公の産婦人科医が、相当にむちゃくちゃなことをやっていて怖い。
中絶された胎児を培養して、移植用臓器にする。
ホームレスの男をだまして、勝手に受精卵を着床させ、妊娠させる。
パーキンソン病治療のために、産声をあげるまでに成長した胎児を中絶し、利用する。・・・。
最初は不快でしょうがなかったのが、その、徹底した狂医師ぶりに圧倒され、だんだん痛快になってくるから不思議だ。「魅力的な悪役ヒーロー」と言ってもいいんじゃないかと思う。
それに。彼は、私利私欲のために犯罪まがいのことに手を染めているのではない。
不妊に悩む夫婦のため。
適合する臓器を待つレシピエントのため。・・・。
多くの患者にとって、彼は間違いなく恩人であり、感謝し尽してもし足りない存在だ。
彼は「悪」なのか「ヒーロー」なのか。その矛盾が、医学の倫理観の難しさを内包し、ものすごく考えさせられるテーマとなっている。
答えの出そうもない深遠な問題を、やりたい放題の問題医師を主人公にしたことで、うまくサスペンス仕立ての小気味よい小説に仕上げていると思う。
患者の痛みを理解し、その死に涙を流せるような
人間的な医師たちを主人公にした短編集。
読みやすい美しい文章、ホロっとさせるストーリー
心地よく、優しい気持ちで読むことができました。
・・・・しかし、
それぞれの話が淡々と終わりすぎていて、
少し物足りない気がしました。
やはり、短編には仕掛けと最後のオチが
ほしいと思ってしまった。
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