文春新書である。文春の新書は、知識よりも教養に力点があって、読みやすくなっているものの冗長になるきらいがある。そのなかで、この『鮨屋の人間力』は読みやすく、一気に読んでしまった。
さまざまな業態や日本各地で修行を積まれた中澤親方はこの本の中で、「鮨屋に大切なのは人間力だ」と説く。鮨屋とお客様、鮨屋と市場の仲買人、鮨屋の中の親方と弟子。どれもが人間力が問われる関係であり、どれもが時間をかけて築き上げていく関係だという。
以前は「おまかせ」なんて食べ方はなくて、鮨屋さんの今日のネタ、イキのいいものを、板前さんとの会話を楽しみながら、一番美味しい食べ方で食べたものだった。 「春ですねぇ、うまい貝が入ってますよ」 「いいねぇ、それ食べよう」 「バターもいいけど、ここは焼いてみますか」みたいに。
先日、ちょっとしたお祝いを兼ねて、日本橋高島屋にある「銀座久兵衛」さんに行った。「お祝いだから特上」なんて言って食べていた。まだ時間がはやいこともありお客様は少なかったので、板前さんも時間を弄び気味だった。こちらも話すきっかけがないままにいたのだけど、私が量に物足りなくて握ってもらうよう頼んでみたところ、板前さんの掛け声とともにお店がぱっと明るくなったように感じた。やっぱりお寿司やさんは、個別に握ってもらったほうがうれしいのだ。
こちらは一見さんだったので、ちょっと遠慮しがちにいたのだけど、お寿司屋さんは板前さんとネタのこと季節のことを話題に会話をし、ときには勧められるままに食べ、ときにはわがままをいいながら楽しむのがいいのだろう。前述した人間力の要素の一つは、会話力なのだと思う。
そういえば、日本の社会もずいぶん人間力が落ちているように思う。市場や商店街で顔を付き合わせて、世間話をしながら買い物をしたのは、昭和の時代が最後だったか。いまやスーパーやコンビニで、無言のまま商品を手に取り、マニュアル化された対応のレジを通る無機質な買い物。そこには会話力も人間力も必要がない。仕事柄、韓国にいく機会が多いが、あの国はまだまだ店舗や市場が充実していて、あちこちに会話があり、活気もある。日本人が大挙してあの国を訪れるのはわかる気がする。日本にはなくなってしまった人間的なふれあい、ぬくもりを探しにいくのだ。
人間だから人間力があるわけではない。やはり子供の頃から叱られたり褒められたりしながら、大人になっても損したり得したりしながら人間力はついていくのだろう。
お寿司屋さんのお話だったのだが、なんとなく日本の社会の縮図をみた気がした。
元々ドラマも微妙と思って見たり見なかったり。なんで映画になったんだろうという感じですが・・・カワタロー(ジャニ)は演技下手すぎるし。あんな下手糞な死に方初めてみた(笑)釈のアクションが新鮮、可愛いそれだけでした。
番組スタートの告知を見たとき、「光一、久々のドラマかぁ。将太の寿司みたいなのだったら面白いな」という感じでした。 しかしさすがはテレ朝金曜深夜のドラマといったところか・・。見た瞬間、なにかトリックと同じ匂いを感じると思ったら監督が一緒。親父とじいちゃんがカジキマグロにブッさされ、魚の目をみるとスーパーサイ○人のような髪になりお決まりのセリフ「お前なんか、握ってやる!!」久々にドラマで爆笑しました。 とはいえ、そんな主人公をも飲み込む勢いのあるゲストが毎回登場し、破天荒なシナリオながらも変に説得力がある。全八話と短めだが、十分お腹いっぱいになれる作品。 今後はスペシャルドラマとして只野仁と肩を並べるドラマになってもらいたい。
この映画、ぜ〜んぜんNYっぽくないし、だいいちマジメにみる映画でもない。構成もドタドタしている。でもおばかになってみれば、笑えて、爽快で、見終えたらスカ〜っとしていて、実のところかなり儲かった気分だった。親子でみて、そのあとしばらく会話が明るくなった。みて、正解とおもえた、それはなぜだろう?
堂本氏の力量と輝きが大きい。失礼ながらこの映画をみてはじめて知ったのだが、このひとは単なるアイドルの域を大きく超えてしまっている。才能に加えて、努力を重ねて、これだけのものを引き出しているのだろう。見るものの耳にセリフを残してしまうような、エンターテイナーとしての活力を感じた。彼がこの映画を引っ張っているのだ。
スシ王子も堂本氏もよくしらないわたしたち親子が、充分楽しませてもらいました。ていうことは。。。どなたでも、かなり楽しめるってことかな。
元々ドラマも微妙と思って見たり見なかったり。なんで映画になったんだろうという感じですが・・・カワタロー(ジャニ)は演技下手すぎるし。あんな下手糞な死に方初めてみた(笑)釈のアクションが新鮮、可愛いそれだけでした。
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