中居君が非常にアタリ役だった。特に彼の仕草や表情は、普段の彼の特徴が最大限に生かされていたのが印象的。 メッセージの込められたしゃぼん玉がふんわりはじけるイメージも非常に効果的。 そして、コメディやお笑いの要素が満載なのに、登場人物一人一人のキャラクター設定がわかりやすくしっかりしていたし、俳優陣も楽しんで演じていたのも見ていて安心する。 しかし、内容はアメリカの連続ドラマに見られるような深刻な社会問題を扱っていたり、現代人のなくしたやさしさや使命感が物語のキーになっていてよかった。 障害者をムリヤリ社会に順応させるのではなく、「社会や周囲の人々がその人の持つ障害に適応していくと、こんなにすばらしいことが起こる」というメッセージも込められていると感じた。 何より障害や障害者に関心を持つこと。障害への理解を進める手順を知るのに最適なドラマと言えるかもしれない。
このシリーズがここで終わる事だけが残念。 あの時代に山ほどいたと思う お金持ちでおっとりで本好きで優しいお嬢様が、 これからの時代をどう生き抜いていったのかが知りたかった。
時代に翻弄されながらも 異性に恋したり、嫁いだり、出産したり、育児したり そういう大河シリーズになるんだと思ってたのになあ… そういうのを北村薫の筆で読みたかったなあ…
個人的に、大変尊敬しているフルーティストさんのCDです。 フルートの良さとも言うべき、軽やかさと心に自然に入ってくる音が、大変すばらしいです。 フルートがお好きな方には是非お勧めのCDです。
「私と円紫さん」シリーズや「スキップ」「ターン」「リセット」などの人気作で知られる著者のエッセイ集です。 冒頭から3分の2にあたる250頁までは、1970年代から今日までの、著者自身の読書歴にまつわる文章が集められています。他の作家の作品に関する解説などが大半なので、対象となっている書を手にしたことがないと、その面白さは味わえないかもしれません。 残りは「自作の周辺」と「日常の謎 愛しいもの」について筆を進めた文章が並んでいます。こちらのほうは、著者のあの柔らかく、温もりのある日本語によって、肩に力の入らないささやかな日常が切り出されていて、そのやさしい筆致にひたる喜びを味わえます。
デビュー当時は覆面作家であったのは、作家として変わらぬペースで作品を出し続ける自信がなかったため、「縛られようのない透き通った人」になればという勧めに応じたからだとあります。著者が覆面作家のまま、やがて寡作のまま消えることがなかったのは、私たち読者にとって大変喜ばしいことでした。
ところで「私と円紫さん」シリーズは、2004年に出された「別冊宝島『北村薫CompleteBook』)」 (別冊宝島 (1023)にあったようにやはり続編は現れないのでしょう。残念でなりません。
最後に心に深く沁み入った言葉を引き写しておきます。 「作品は楽譜に当たるもので、それを演奏するのが読者である。読書は決して受身の作業ではない。百人の読者がいれば、そこには百の作品が生まれる。人に読んでもらうのではない。名曲を弾くように、我々は名作を読むのだ。そこにこそ読書の醍醐味がある。」(298頁)
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