本書の成果は云うまでも無く、超労作『江戸川乱歩リファレンスブック』3巻を上梓した中相作氏の力によるもの。
そこらの編者だったら、ただ書簡内容を並べて解説付けてハイ終わりになる処だが、さすがに役者が違う。
この本の濃密な情報量はどうだ。
村上裕徳氏による縦横無尽な脚注が書簡の副音声となって、当時の探偵小説文壇の状況・作家達の人間模様を見事に焙り出している。
デビュー時は謙虚だったのに、徐々に変化してゆく乱歩。その名声ぶりに噛付く前田河広一郎。傑作を生み続ける乱歩を唯一脅かす平林初之輔の鋭い批評。小酒井不木の乱歩への深い敬愛ぶりに嫉妬の炎を燃やす国枝史郎。そして不木突然の病死の裏には、後の『真珠郎』を地で行く一人の男の存在があった…。
村上氏の脚注を「独善的」と言う声もあったと聞くが愚かな意見だ。大衆文学に通じた確かな書誌知識に基づいている上、中氏を中心に手練の者達が細かいチェックを加えている徹底ぶりなのだから。
巻末に乱歩/不木随筆・論考・解説・年表・索引。更に、凝りに凝った付属CD-ROMでほぼ全ての書簡画像さえ見る事ができる。
これこそ書簡集の手本ともいうべき素晴らしい一冊。
中相作氏にお願いしたい。再び村上裕徳氏と組んで『江戸川乱歩−横溝正史書簡集』を是非ともやって頂けないだろうか?
両雄相並ぶ偉大な探偵小説家なのに、乱歩に大きく遅れをとって正史に踏み込んだ良書は悲しい程にない。
もし実現したら本書以上の大反響になる筈だ。中氏のラストワークとも云われる『江戸川乱歩年譜集成』同様、喉から手が出る程に読みたいのである。
今から十七、八年前にもなろうか、創元社の「日本探偵小説全集」で「痴人の復讐」「恋愛曲線」他の不木作品に始めて接した時の衝撃は未だ忘れ得ぬ。医学者としての博識とルヴェルやポーの影響色濃い怪奇趣味が混交した作品は静謐な狂気を孕んでいる。当時は不木単独の作品集が無かったため、不木作品が収録されているアンソロジーや初出誌を東奔西走して渉猟したのも懐かしい思い出だ。本作は不木の代表的短編がほぼ網羅されており、嘗て血眼で不木作品を収集した私の労、その轍を踏むことなくこの一冊で鬼才の世界を堪能できる今の読者は幸せ者という他ない。乱歩や横溝に比して一般にそれほど膾炙してるとは言い難い作者ではあるが、一度この不木ワールドを覗きこんだが最後、決して逃れ得ぬことは保証する。是非ご一読あれ。
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