以前の中島みゆきの詞と言えば、失恋の詞が多かった。 しかし、最近の詞は人々を勇気づけるようなものが多いです。 このアルバムについても、人々を勇気づける詞ばかり集めた ものの集大成だと思います。 地上の星から始まりファイト!で終わるまで、とにかく、 自分は頑張らないといけないと思わせるような詞ばかりです。 不況、高齢社会、失業という時代にあって、中島みゆきは私 たちに渇を入れ、励まし、見守ってくれているのをひしひし と感じられます。
中島みゆきのライブ、いいですね・・・・・・・・・・
DVDもいいけど、こちらもいいです!!!
とにかく聞いてみてください。
1975年ヤマハのポップコンで華々しくもグランプリを受賞した「時代」を船出として歌手中島みゆきの旅は始まった。デビュー当時のアルバム(「みんな去ってしまった」)に「死んでも旅をつづける女」(「流浪の詩」)と自らを見定めた彼女の旅はいったいどこへ行こうとしていたのか?その航跡をたどってみると多くの謎があることが分かる。なんといっても最大の謎は70年代末頃から独特な失恋歌の世界を綴ってきた彼女の内的な動機である。著者はそれらの歌のリアリティーには現実の物語が重なっているにちがいないという大胆な仮説を提出している。この仮説が真なるものであるのかどうか意見が分かれるにちがいないが、少なくとも彼女の失恋歌が単なる虚構でないことははっきりとみえてくる。
本書のタイトルにある「絶対矛盾的自己同一」という一見難解そうな用語は元々哲学者西田幾多郎の有名な造語であるが、それは必ずしも奇をてらうためではなく、中島みゆきの世界観を言い表すための適切な表現(概念)であるということが後半部で語られている。たとえば「あした天気になれ」という歌に「雨が好きです 雨が好きです あした天気になれ」というフレーズがあるように、彼女の歌にはなぜか矛盾した表現が満ち満ちている。それは彼女が世界の矛盾をありのままに見つめ受け容れながら、なおかつ世界は矛盾ではなく合一した世界であるという西田哲学の真髄に近い世界観があるからだと解説される。その彼女の世界観が夜会のテーマ曲「二隻の舟」にも隠されているのだと結論部で明かされる。全体的に硬質ではあるが一つのテーマにしたがって論理的に構成された珍しい本格的評論ではないかと思う。
某ラジオで福山雅治さんがみゆきさんから訊きだした衝撃のコメント
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福山「荒野よりは最近書かれたんですか?それとも元からスケッチがあったんですか?」
中島「これはねぇ・・・14〜15年たってます。
福山「やった!うれしーこういう話!」
中島「なかなかヴィンテージですよお客さん(笑)」
福山「味のってます!!!ワインの栓抜きぬきですから!」
一同(笑)
中島「完成して14〜15年置いといたわけではないですけれどもね。この(ドラマ)きっかけで出来上がるわけですけれどもね」
福山「ワインでいうと赤ワインですか白ですかロゼですか」
中島「ロゼにしておきましょぅか ウフフ(笑)」
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このCDに入っている2曲の共通点
「荒野より」は大切な者に対する犠牲愛の象徴ともなっている犬の気持ちを歌っており、離ればなれになったとしても、片時も心からは離れないから、自分の道をゆけ!と突き離し相手の一生を思いやるという内容。
カップリングの「バクです」は、大切な人が苦しんで見る夢を食べて食べて食べて、いつか大切な人が素敵な夢を見られるまで食べることをやめないという歌詞。
これほどの犠牲愛、一筋縄で共感なんてできません。
自分の未熟さを知らしめられました。
彼女の詞にも、変化が見られたのがよくわかる。 歌詞に英語を用いている。 フォーク色からまた少し違った色を見せ始めている。 そして、合間合間に掲載されているものも非常に興味深い。 この頃は、もうメディアにあまり露出しない時期でもあり、そして大御所の域になっていた。 ドラマ出演の裏話や、デビュー時の裏話。(その時代のフォークは、自分の体験とかが基本であり逸脱されているものは時に嘘と言われてしまう時代だったこととか)など、興味深いものも満載。時代背景は今とはあまり変らないかな?とは想うけれど、やっぱり今の音楽時代とは多少違うのかもしれない。そんな部分を垣間見る事ができる1冊
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