一通り、結構、じっくり読んだ。
まず、この本を出版した幻冬舎は、本書を出す社会的使命・理由として、
'<1>被告の償いの気持ちをあらわすことと、
'<2>本人が被害者に賠償するための手段を得ること、
'<3>本人の生活費を稼ぐこと、
'<4>犯罪心理学の貴重な資料になること
などを挙げていたが、本書の出版は、償いの気持ちを書いたというよりも、特異な生活を過ごした自分の生きざまを世に
しらしめたいというゆがんだ欲望を満たすための、いわば自慰的な行為にすぎなかったのではという感じをもった。
それに加担したのが出版社だ。一般人の被告が、本を出す強い意志を当初から持っていたなどとは考えられないので、出版社が仕向けたことであろうが、やはりその責任は重いと思う。なぜ、刑の確定後ではなく、勾留中の被告が本を出さねばならないのか。そこを説明するべきだ。「注目されるから」「売れるから」との理由以外、私には分からない。
被告と出版者に道義的責任を強く感じる方は、やはり、「買わず」に読み切ることをお勧めします。私もそうしました。
ただ、本書の内容云云という問題と、市橋被告と出版社の道義的責任は
さんざん議論されているので、私は本書の内容そのものからの感想を書きたいと思います。
被告は、本書で「海辺のカフカ」の一文を引用し、かっとなると考えるよりも体が動くと書いていた。当然、殺人を犯した原因ともいえる性質的な部分であろうが、普通、どんなにかっとなっても殺人などにはいたらない。極めて異常であり、特異だ。それなのにどうして、犯罪を犯したのか。その原因の一端を本書から学ぶことはできると思う。
本書を通して、明らかになる被告の人間性の特徴としては2つある。1つは「感謝」の言葉の意味が分からないという点。誰かの行為に感謝するということが、何を意味するのか今まで、なかんずく今もよく分からないと繰り返し記述している。
もう1つは、「捕まってテレビで日本中のさらしものになるのが嫌」と言ったり「女装して逃げる、男に体を売って逃げている」という自身の情報に関しては、執拗に激しく否定している点から、自分自身へのプライドが極度に高いことが分かる。このプライドの高さは、きれいなものではなく、相手の気持ちなど顧みないほどの高さであった点が特徴だ。本来、プライドが高ければ、どんなに辱めを受けようとも、受け入れて出頭し、罪をつぐなう、親に心から謝罪するのが筋だからだ。でも、そうしたことはせず、とにかく逃げ続けた。ものすごく自分本位のプライドである。これだけ自分本位だと、当然、感謝も持てないのかもしれない。
どちらにしろ、感謝を持てず、極度に自分本位の人間が引き起こしたのが、この事件であった。さまざま被告に対する批判は当然あるが、そうした点を明らかに示している点では、本書は参考資料になると思う。
大切なことは、こうした人間を育てないために、社会全体がどのような教育を目指すのか、家庭教育はどうあるべきなのか、真剣に考えなければいけない点だと思う。被告の罪は大変に重いものである。ただ、社会がそうした人間が作り出したことは確かだ。犯罪を被告だけの問題に終わらせ、完全な他人ごとにするのではなく、自分が構成員の一人である「社会」が創りだした問題であると考え、どう今後変えていかなければいけないのかと、真摯に見つめなおさなければいけないのではないか。その意味では、もはや被告の非を感情的に批判し続けるだけでは、まったく意味がないと思う。
また、本書を読むと、罪を犯すとどれほど精神的に追い詰められ、人間性が崩壊していくのかが分かるから、怠惰的な生活や犯罪を防ぐ啓蒙的な意味もあると思う。だから、書物の内容自体に価値がないとはいえない。なので★3つ。
不可思議な事件を,ガリレオ先生が科学的に解決してみせるという短編集。
一つ一つの科学的な謎解きに,
ふーん,なるほどねぇ,そういう現象があるのねぇ・・・と思うものの,
へえええ!と膝を打つほど面白いネタでもない。
さらに,推理小説としてみれば,なんでそんなことでそんな大掛かりな事件起こすのさ,といった動機の深みのなさや,ストーリー展開の単純さが目立ち,
はっきりいって面白くなかった。
東野圭吾であれば,やはり,加賀刑事シリーズなど本格推理小説の方が断然よい。
ジャケットやタイトルのLove Paranoiaからも察することが出来ますが、今までのアルバムとはかなり毛色が違います。 それが楽しみで購入したんですケドね。 ロックな曲、テクノサウンドな曲などと今まで以上に曲調に幅が出てきて、いちリスナーとしてはかなり満足出来る内容でしたよ! 新境地のラバソー-lover soul-やアルバム曲のnOw, break a spellなんかは個人的にはかなり好みなサウンドでしたし、詞も今まで以上にパワフルで前衛的です。 毛色が違うと言えど、柴咲コウお決まりのバラードもしっかり収録されてますから安心して聴ける一枚かと。 でも後半がバラードが続くので若干パワー不足かな、と思ったりしました。 ※個人的な希望としては最愛を収録するよりも、風ゆらのうたを収録して欲しかったです。 こっちの方がコンセプト的には合う気がするんですけどね。
一読して、東野圭吾の近作にしては珍しい本格ミステリーだと思った。しかし、何となく釈然とせず、もう一度読み返した。二度目は事件のポイントに的を絞って。
その結果、疑問に思ったこと。
第一に、最初の現場検証で、警察(鑑識)が〇〇〇を調べなかった(少なくとも証拠保全しなかった)のは不自然。犯人が後から証拠隠滅できるとは…(絶句)。
第二に、〇〇〇についての説明が微妙。注意深く読むと、痕跡を残さずにトリックを仕掛けることが本当に不可能なのか、明確に検証されたかどうかよくわからない書き方だと思う(作者が意図的にそうしたのだろうが)。
つまり、あえて言えば、湯川の推理が本当に正しいのか、厳密にはわからないのではないか?
しかし、この作品はその点を問題にしておらず、湯川の推理は正しいという前提に立って、犯行のトリックは、動機は、と進んでいく。つまり究極的に言えば、これはミステリーではなく、犯人の心情がテーマの一種の恋愛小説なのだろう。
だとすると、この犯人が、犯行後に自分を守ろうとするとは考えにくい(そのためのトリックではない)。自首するか自殺するか、どちらかだろう。
あえて罪を暴かれ逮捕されることが、自分への制裁だと犯人が考えたとしても、その場合の追及者は、湯川や草薙刑事の役回りではないような気がする。これは加賀恭一郎刑事の守備範囲だったのではないか。
そもそも犯行のトリック自体、湯川でなくては解けない謎ではない。きちんと鑑識がサポートすれば、「文系」の探偵でも解決できると思う。『容疑者Xの献身』もそうだったが、やはり「探偵ガリレオシリーズ」の長編である以上、まず、湯川でなくては解けないトリックを周到に準備する、というのが第一条件だと思うのだが。
まず出演者について。 福山雅治はもはや本業を“俳優”としても良いくらい、この難解な役を見事に演じている。“ちぃ兄ちゃん”の時や、「美女か野獣」主演の時から思っていたが、彼は表情で語ることが巧い。俳優経験がそう多くはないのに、堂々とメリハリのきいた演技を見せている。 柴咲は、原作には登場しない役だが、ドラマにはマッチしてとてもコミカルな役回りだ。また特筆すべきなのは、渡辺いっけい。ともすればシリアスになりがちなこのドラマで実に笑わせてくれる。
ゲストも豪華で、顔ぶれを見るだけで楽しい!!主題歌もフレッシュで良い。 大掛かりな実験器具や書き散らされた数式も、科学者が監督してるということで、信憑性があるのもいいね。
何にしろ、見よう。頭が良くなったような気分になれる 笑 また、これを見たら子供の理系離れも止まるんじゃないかと本気で考えている。
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