日本のインディーズ系映画の先駆者であると同時に多作なシナリオライターでもある新藤兼人(1912〜 )の監督デビュー作です。映像のディテールの凝りように新人監督らしい気負いがあらわれていて微笑ましい。1951年、大映制作。
正規版DVDの十分の一ぐらいの価格で売られている廉価版なので、画質は気になるところですが、ところどころ少し雨が降っている程度。まあ許容範囲でしょう。音声は小さめですが、これは音量を上げれば普通に聴き取れます。
シナリオライターの沼崎(宇野重吉)が、無名の頃にかけおちして同棲した孝子(乙羽信子)との下積み生活の日々を回想する。結核で早世した新藤の先妻がヒロインのモデルです。理想の女性像として美化されている印象も受けますが、ありきたりなメロドラマになっていないのは、当時26歳の乙羽信子の笑顔の魅力に拠るところが絶大だろう。
《私は映画の脚本を書き始めてから、もう十年余りになりますが、才能も貧しくてまだこれという作品を書いておりません。しかし、私は映画を愛しております。いつかはいいシナリオを書きたいと努力しています。でも一生そう思いながら死んでしまうかもしれません。それでも私は満足です。この物語の私の妻がそう教えてくれたのです。》
文学にたとえると私小説というか、これは私の苦手なタイプの作品ですが、映画作家としての真剣な思いが作中にみなぎっていて、おのずと心にしみるものがある。初心をつらぬくことの大切さ。新藤兼人の入魂の一作として後世に残る秀作です。
戦時下の京都の撮影所の雰囲気や町家の暮らしの四季のたたずまいがリアルに撮れているのもすばらしい。師の溝口健二をモデルにした坂口監督(滝沢修)や、隣家の職人夫婦(殿山泰司、大美輝子)など、脇をかためる芸達者たちの演技の渋さが心憎い。 紆余曲折をへて晩年に新藤の妻となる名女優乙羽信子との運命的な出会いをもたらした作品でもあるわけですが、それはまた別のお話ですね。
第二次大戦末期の話です。 中年兵として徴集された啓太(豊川悦司)が、 仲間の定造(六平直政)から一枚のハガキを渡されます。 そこにはこう書かれていました。
今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません。友子
召集された100人のうち94人が戦死し、啓太ら6人だけが生き延びます。 その生死を分ったのは、兵士たちに次の任地へ赴かせるため、 上官が引く「くじ」でした。
終戦後、啓太はハガキを送ってきた定造の妻・友子(大竹しのぶ)を訪ね …と話は続きます。
日本最高齢の映画監督・新藤兼人が、自ら「映画人生最後の作品」と称したこの映画。 監督自身が生き残り兵士6人の1人だった実際の体験をもとに制作されたそうです。
人の命が「くじ」などという決め方でもてあそばれ、兵士の死ぬことは、 それ即ち、残された家族の行く末を無残なものに変えていきます。
戦争の愚を、体験者でしかなし得ぬまなざしで、 激昂と哄笑を交錯させながら、みごとに描き切っています。 スッカラカンになっても、前を向いて生きていこうとする逞しさに満ちた美しいラストは、 神々しくさえありました。
豊川、大竹をはじめ大杉漣、柄本明、倍賞美津子、津川雅彦といった 新藤作品に出演経験のあるキャストが、それぞれの持ち味を以って、 迫真の演技により、新藤監督のメッセージを体現していました。
体を張って滑稽な役どころを引き受けた大杉漣、渾身の芝居が光っていました。
独立プロゆえ、致し方ないのかも知れません、 資金不足が画面に表われている…それがどうにも残念でなりませんでした。
先日100歳で大往生をとげた映画監督・脚本家、新藤兼人(1912〜2012)の自伝的エッセイです。二十代三十代の下積み時代の貧困の日々を中心に回想している。達意の文章ですね。すらすら読めてしまいます。
22歳の無名の若者が現像所の肉体労働から始めて美術部・脚本部をへて念願の映画監督へと一本立ちしていくまでのたたき上げの苦労ばなし。映画がサイレントからトーキーへと移行し、アジア・太平洋戦争の開戦から敗戦にいたる昭和前期の世相の具体的な証言の数々、小津安二郎、溝口健二、内田吐夢、依田義賢、野田高梧らの巨匠たち、身のまわりの忘れえぬ人びとの横顔のスケッチ。総じて軽やかな筆致で淡々と書かれているけれど、こめられた思いは深い。
師匠である溝口健二の伝説の撮影現場の唖然とするような裏話、美術部の上司であった水谷浩にたいする屈折した感情、『愛妻物語』のヒロインのモデルとなった記録係の久慈孝子への感謝の気持ち、下士官による凄惨なイジメと体罰の毎日を耐え忍んだ軍隊経験の思い出。このあたりの記述は、とりわけ強烈な印象をもたらすものでした。さりげないディテールがきらめく。
新藤に関しては、どうも独立プロで低予算の意欲作を撮りつづけた社会派の映画監督という硬いイメージが先行しているような感じがしますが、実際には、大衆的な娯楽映画やTVのサスペンスドラマなどを含めた厖大なシナリオを書き遺した脚本家でもあります。どんなシナリオであろうとも、発端・葛藤・終結の三段階からでできている、という年来のこだわりについて、あらためて紙幅を割いて力説しているところもこの人らしくていいですね。映画史を飾る個々の古典的名作についての忌憚ない感想もおもしろかった。
新藤兼人の映画やシナリオや著作は、これからもますます数多くの映画ファンに愛されていくことだろう。私はそう考えています。これはおすすめ。
『原爆の子』では、1953年カンヌ国際映画祭に出品された際、米の圧力を受けた日本の外務省が受賞妨害工作を試みていたことが89年に公開された外交文章と証言で明らかになっている。 本作は、提携していた大映に反対され、初めて近代映画協会が自主製作した作品で、それが大ヒットしたその7年後に公開された『第五福竜丸』でも、悪条件での配給契約を大映と結ばざるを得なかった状況の中、監督はその後も反戦を芯に据えた映画の数々を撮り続けた。 その姿勢や気概は、映画人として揺るぎない筋が通っており、役者やスタッフもまた、覚悟を持って撮影に挑んでおり、今時の安易にスターを主役にして観客動員を狙うようなあざとい内容もない映画と比す事も出来ぬほどのメッセージ性や芸術性が伝わってきて、敬服するしかない。
『裸の島』で、自然の猛威と人間の苦闘を描く。 『人間』は、漂流船の男女4人による自分の中の欲望との闘いを描く。 近年上映された『東京島』とシチュエーションは似ているが、その深みは桁違いだ。
各章末毎にある「ここが見どころ」とだいした映画ガイドも、上手く印象的な場面を取り上げており、観る気をそそられる。
自伝的な『落葉樹』、『愛妻物語』。 師である溝口健二監督を描いた『ある映画監督の生涯』。 永山則夫を描いた『裸の十九歳』。 認知症や死を絡めて、老いの実相を描いた、乙'註M子の遺作『午後の遺言状』。
そのどれもが、自分の事を「私は何であるか」を突き詰めていく以外に、人間には仕事がないんじゃないかと思い、自分の信念を突き通して撮り続けてきた映画となっている。
難点を言えば、(注)が、章毎やそのページの空白になく、巻末にまとめられれている部分は、読みにくく感じたところか。 反対に(新藤兼人をめぐる人物)と称した、本書に登場する映画人の注釈や、全作品の目録を巻末に付けてくれてあるのは、良かった。 著者については、その人生について対談本や、自著が多く出版されているが、もし同じように戦争を経験しながら反戦の志を持ち続けた城山三郎が伝記的に書いていれば、それも名著になってただろうと惜しむ。
ところで著者は、『'東綺譚』や『一枚のハガキ』で津川雅彦を起用し、前者ではブルーリボン賞の主演男優賞まで津川は受賞しているが、津川がタカ派を公言している事実を知らずに起用したのか、若しくは津川がその時だけ変節して出演したのか、疑問が残った。
5月末にお亡くなりになった新藤兼人監督の遺作である。 余命を意識していたのであろう、まえがきに「みなさん、さようなら」とある。
独立プロでお金の心配をしながらの映画づくりは毎日が闘いだったはずで、100歳まで続けてこられたのは、映画という夢にしがみついて、向上心を磨き続けた結果である。
そんな新藤監督の100歳を迎えての思いを綴ったのが本書。 目次の項目を眺めただけでも、鋭い言葉が並び、胸をうつ。
とくに人間の生きる根源に横たわるのは性であり、性を軽んじることを戒めている。男と女の間にある性を追及しなければ人間には迫れないと説く100歳の心境がすごい。
また、仕事に対する向き合い方、困難に対する処し方も読む者を叱咤し、背中を押してくれる。
これは「生き方の教科書」なのだ。
人はいくつになっても挑戦できる。 そんなことも教えてくれる「快書」である。
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