santanaがalice coltraneとコラボレートした有名な1枚。これは現在の眼で見てもモニュメンタルな録音だったと云えるだろう。
aliceとの共演はsantanaの希望だった由で(その経緯については岩浪洋三さん(!)の手によるライナー・ノートに詳細が書かれている)…当時ロック・スターだったsantanaが、実質はどういう処を見ていたのかがよく判る。何しろその相手が由りによってalice coltraneというのは凄い。バックのメンバーもdave holland、tom coster、jack dejonette達…と完全にジャズ人脈である。
ロック・サイドからの興味のみで聴けば、これは正直かなりキツい作品だろうが、当時のalice coltraneのソロ作を何か1枚でも御存知の方はすんなりと入れるだろう。終始厳かで、かつ穏やかな音空間に満ちている。彼女の当時のソロ作(impulse盤)の中には相当に激烈な演奏も多いのだが、ここでは祈りの様に穏やかな印象を与える楽曲ばかりだ。 aliceはアグレッシヴな後半の1曲でのウーリッツァー・オルガン演奏を除いてハープに専念。夜の大海の、絶え間ないうねりの様な弦楽のアレンジメント…。そして彼女の生み出すうねりの中を泳ぎまわる魚のようなsantanaのギター。
…もしかしたらsantanaはaliceのうねりの中に身を投じるようにして、自己の音(ギター)で祈祷していたのかもしれない。中袋に載っているセピア調で写された一葉の写真。眼を閉じて祈るsantanaを聖母のように優しい眼差しでじっと見つめるalice…。この写真に充満する何ともいえない雰囲気が、まさにこのアルバムの音世界を体現している。こういうコラボレートは有りそうで滅多に無いものだと思う。santanaとalice…。改めて考えても、やはり凄い作品だ。
夜聴くのもいいですけど、ほとんど日中聴いてることが多いです。優しいメロディーがとても心地よいです。曲調はジャズ、ボサノバ、ラテンなど、ジャンルがさまざまなのに、まとまりが感じられました。カフェで聴くような癒やしです。全19曲で80分ほどです。このボリューム感も満足で買って良かったです。 最後の締めの曲がピアノクラシックで終わるのも素敵でした。 全体的だと、ベッドに入ってから聴く感じよりも、ベッドで本を読んだりして眠る前に聴く曲という感じがしました。 何年も大切にお気に入りのBGMとして聴いていきたいと思います。
最新形のヒップホップ型サウンドスケープにして、 デスクトップで紡がれる23世紀の思い出、 或いは電子頭脳が見る夢。
コルトレーンの血統を継ぐ(継いでるのかな?)最先端トラックメイカー、 2年振りのオリジナル・アルバム。
アリス・コルトレーンの26年振りの新作スタジオレコーディング。 アリスやファラオ・サンダースの音楽は、私にはジョン・コルトレーン(JC)抜きのコルトレーングループにしか聴こえない。しかもJCの一要素が肥大化し、それが誤った形で継承されている。音楽以外のなにか(たとえば「神」)に執着し、肝心の演奏や曲はお粗末な一種のムードミュージックに堕している。そんな印象である。 本作も基本的には同様の感想を抱いた。しかし、かつてのアリスと比べると、装飾的でこけおどし的な部分が殺ぎ落とされ、シンプルでストレートな表現になっているのには好感がもてる。さらに収穫は、JCとアリスの息子であるラヴィ・コルトレーンの成長である。昔聴いたときより表現力は格段に向上、とくにJCの曲である8,9は本作で屈指の演奏となった。 また、本作のもう一つの魅力はチャーリー・ヘイデン、ジャック・ディジョネットとジェームス・ジナス、ジェフ・ワッツの2組のリズム隊。どちらも強靱で繊細なサポートを行っているが、とくにヘイデンは久々にフリー時代のような重厚で底光りするベースを披露している。9でのデジョネットのフリーライクな爆発力にも注目だ。 ともあれ、妻は仕方がないとしても、息子はそろそろJCを追うのをやめてはどうか。JCはけっして登攀の叶わない唯一無比の巨峰である。本作で聴く限り、「His Own Way」を進む機は熟したと思える。ラヴィの次作に期待しよう。
現時点で所在がわかっているコルトレーン最後のライヴ音源。演奏日時・場所は67年4月23日午後4時、NYハーレムのオラトゥンジ・アフリカ文化センター。
オラトゥンジ文化センターとはナイジェリアのミュージシャンであるババトゥンデ・オラトゥンジの名にちなみ、アフリカの文化を後世に伝える場として創設された。完璧な録音ができる場所ではない。外の車のクラクションが聞こえるほどだ。そこにポータブル・レコーダーを持ち込んで、「記録」のために録音され、アルバム化まで35年もお蔵入りしていたテープ。したがって、録音状態は良くない。
残り少なくなった命がしぼりだす、凶暴なまでの、魂の咆哮という表現がぴったりの爆音ライヴ。ロックに例えるなら、キング・クリムゾンのアースバウンドのようだ、と言えば理解してもらえる人が多いのではないだろうか。録音の悪さが却ってコルトレーンの演奏の芯を際立たせる逆説。がんに侵され、3ヶ月後に他界する人が出すエネルギーとはとても思えない。
マイ・フェイヴァリット・シングスは原形をほとんど留めないが、コルトレーンが繰り返し演奏した曲が遺された最後のライヴ録音となったのも奇遇。突然終わる録音が、却って余韻を残す。
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