詩に情感豊かな感性があふれてこぼれ出している。詩に興味をもったら、絶対にバイロンを薦める。個人的にはシェイクスピアと双璧をなしている。それ位ドラマティックで繊細な人だ。
この小説を初めて読んだのは二十歳の頃でした。が、そのころの私にはいささか難解過ぎる内容と、また1ページに文字がギチギチに詰め込まれているのも手伝って、半分も読まない内にリタイアしてしまったという有り様でした。そして三十代になった今改めて読み返してみると人間の心の複雑さ、難解さをしみじみと感じさせて、また考えさせてくれる話ばかりです。私のお勧めはメッチェンガーシュタイン、瓶の中の手配、鋳楼の悪魔、などですが、まだ読んでいない方は是非一回読んでみてください。狂気と天才とは紙一重とはよく言ったもので作者の狂気ぎりぎりの天才ぶりが 伝わってくる話ばかりです。
「世界史」にはふたつの意味がある。「人類全体のこれまでの歩みを綴ったもの」と、「人類全体が共有可能な、或いは共有すべき過去」とだ。本書が発表されたのは1922年(その元となった"The Outline of History"は1920年)、人類史上初の世界大戦が終わってまだ間もなく、世界各国がナショナリズムへの傾倒を加速させていった時代である。そんな中でこうした本を執筆・出版・翻訳することは、非愛国的な、少なくとも没愛国的な行為であり、それは知識人や知識を求める一般大衆の、時として命を賭けたプロテストであった(ウェルズの著書は1933年にはナチスの焚書の対象となった)。 人類の未来について「教育か絶滅か」と云う激越なスローガンで世界規模での知的協力を訴え続けたウェルズの努力は今日では余り知られてはいないが、少なくとも本書に関しては、「人類全体の歴史」と云う概念を広く一般大衆に膾炙せしめたと云う意味でやはり彼の貢献は並々ならぬものがある。だが、結局はそれも人類最大の愚行の到来を止めることは出来なかった。世界がひとつになるチャンスをみすみす逃した二度目の戦後、死の直前のウェルズが書いた第2版の記述からは、深い絶望が漂って来る。 共有可能な過去を持つと云うことが、共有可能な未来を築いてゆく為に如何に不可欠のものであるかは、この60年何も学んで来なかった様な時代を逆行する風潮がはびこる現状に危機感を抱いておられる読者であれば、とっくにお気付きだろう。本書の内容は今となっては古臭く時代遅れとなっている箇所も少なくないが、ウェルズは自著のことを、後の世代によって書き改められ、乗り越えられるべきものと公言し、変化を恐れなかった。今の世代がこれからどの様な「世界史」を紡いでゆくのか、次の版を書くのは我々自身である。
数年前、NHKで放映されたBBCドラマの出演者の写真が表紙以外にも載っていて、出演者のファンとしては嬉しい一冊です。 「高慢と偏見」は日本では複数の翻訳本が出版されていますが、この本は比較的読みやすいと思います。
本書は昔(高校生のときかな)一度読んだだけで、そのときは大して面白いとは思わなかった。 でも「名探偵コナン」でコナン君が(というか工藤新一が)あんまり「ホームズがどうしたこうした」とか言うから(笑)、再評価する意味で再読したが、退屈でやっぱり面白くないよ、これ。
ホームズ譚っていうのは、書かれた当時は他には大した娯楽がなかったから、その当時はものすごい人気があったんだろうけど、たぶん今、ホームズ物がいいっていう人っていうのは、昔読んで感動した人とかマニアぐらいで、今初読で面白いと思う人っていないんじゃないかなと思う。
ただ、19世紀末頃の英国情緒を味わうには適当な作品かも知れない。
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