私にとって、久々の坂東作品でした。中世のイタリア(及びその周辺)を舞台にした作品としては「旅涯ての地」という大作があります。本書は文庫本で200ページにも満たない小品です。回想形式で、こじんまりと完結しています。
たまたま遠藤周作を読んで間もない頃だったので、思索の浅さは否応なく感じてしまいますが、今さら坂東さんにそんなものを期待はしません。土俗と伝承と…そして少々のエロスを、中世のイタリアでアであれ、明治期の土佐であれ、舞台となった時空の中で展開して魅せてくれればそれでいいのです。
浮遊する神父の伝承と、若い男女の悲恋を無理やり絡めてもいますが、それも気になりません。でもまた、そろそろ大作を期待したいです。
本書の帯には「南洋小説」とある。今となってはイメージが持てない向きもあろうが、明治から終戦までの約100年の日本人は南洋に憧憬と野心をないまぜにした気持ちを多く持っていた。ある者は移民、ある者は軍人、様々な思惑が交錯するままに、敗戦とともに南洋という言葉自体が失われた。 本書では、そんな南洋に辿り着いた者達−明治末期のヤクザ者と戦争末期のインテリ航空兵−と、現代の南洋に同じく辿り着いた日本人を、交互に描いている。次第に、別々だった3つのシーンが結びつく中から、タイトルの「隠された刻」が明らかになっていく。
元々はホラーと乱暴に括られることも多い、四国を中心とした日本土着の霊や神等を題材にすることの多い著者だが、最近は様々な時代や場所またストーリーを広げている。本書で描かれる南洋は、明治・戦中・平成とそれぞれの雰囲気を匂わせるように描いていて流石であるが、そもそも著者はタヒチで長く暮らしており、その点ではお手の物ともいえる。
本書の終盤の展開やテーマについては、異論を持つ方もいるだろう。私も「くちぬい」からに更に進んでしまった著者の意識を完全には首肯できないし、挙句のラストについても少し首を傾げる。 ただ、それでダメを出せないほどに、本書は完成度の高さと坂東ワールドな仕上がりである。
どこか南の島で時を過ごす機会があれば、持っていくに相応しい一冊と勧める。
何気ない寒村、ごく普通の田舎の人 しかし、そこに本当にあるものは・・・
坂東ワールドの定番ですから、期待に違うことなく、最後まで楽しめます。
ただ、残念なのは、ポスト3.11なんだけど、放射能という現代の恐怖またそれに過剰に怯える愚かな主婦という材料が、従来の土着の恐怖や地元民のキャラに霞んで、深く描き切れていない点。
群像劇がラストに収斂されていく部分は、よく出来ているだけに残念。
今昔物語+女性=坂東眞砂子という図式が、ピッタリと嵌った10編の珠玉の短編集です。
怨霊や物の怪に怯えている平安の世界をバックに、女の性、情念(執念と言った方が近いかも知れない)を見事に描ききっています。
特に気に入った作品は、「生霊」「蛇神祀り」「油壺の話」です。作者らしい女性の性の捉え方と、禍々しさが同居した作品です。しかし、それでいて最後に、その女性たちへの哀れさが感じられます。
坂東眞砂子らしさの良く出た素敵な作品集です。
天武天皇をはじめとして、その周りに起こる不審な死の謎に迫ります。 更には、持統天皇の有名な「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」の歌の真に意味することを語ります。 歴史小説として、様々な要素を見事に結びつけることに成功しており、その上で「謎」を解明しています。 そして、物語の裏にはどろどろとした「女」がいます。 このあたりは、坂東眞砂子の世界です。 全体的に、非常に楽しい小説に仕上がっています。 ただ、「やまとことば」にかなり固執した表現形態をとっているため、やや読みにくいきらいがあります。 慣れれば問題ありませんが、そこがやや気になりました。
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