マナー本が大好きで良く購入しますが、説明が難しかったり、逆に簡単すぎたりで、なかなか「これだ!」と思うマナー本に巡り合えませんでした。この本は、「そこが知りたかった!」というポイントが満載で実践しやすかったのが良かったです。例えば、信号待ちで綺麗に見える姿勢の作り方や、人前で話す時の目線の配り方など、外見も内面も磨けるポイントが詰まっていました。女性向け書みたいですが、社内の男性にも読んでほしいかも〜。
これは拾い物でした。1959年大映制作の社会派サスペンス映画。増村保造は三十代半ばの若手監督でしたが、職人的な演出の巧さを発揮。しかも熱気を帯びている。おもわず引き込まれるテンポの良さ。音楽は口笛のみ! 大人の作品です。
西日本のとある都市の市長選挙をめぐる連続殺人を追う若手新聞記者が、政官業の根深い癒着の現実に真っ向からぶつかっていく。地域利権にたかる社会の悪の構図をわかりやすく描いた秀作。この国は、半世紀たった今日でもたいして変わってないのかしら? ふと考えさせるものがあります。
黒澤作品でおなじみの菊島隆三が脚本に名をつらねている。『悪い奴ほどよく眠る』(1960年東宝)と似た傾向といえるかもしれない。黒澤が監督していてもおかしくないできばえ。海外のフィルムノワールと比較してみるのも興味深い。
「新聞かわいさだけでボスと手を握ってきたが、それまでにして育てたこの新聞が、いまドタンバに追いつめられた。俺は大事なことを忘れていた。新聞は読者という民衆のものだ。真実を訴えて、それにより民衆の支持を受ける。それで勝負するのが新聞屋の根性だ」
主演の川口浩は、とにかく若くて熱血ぶりがほほえましい。しかし、なんといっても、地方紙の局長の山村總と土建屋のボスの滝澤修が、圧倒的な存在感を示して光っている。歴史にのこる名優の演技には、おのずと格の違いがあらわれるものですね。叶順子も地味だけど、早期の引退が惜しまれる女優。
大映のカラー・スコープ。村井博の撮影がすばらしい。昭和の戦後の社会風俗の空気をつたえる資料としての価値もあるだろう。映像はていねいに修復されて向上している。観てよかったとおもいました。
昔みて懐かしく面白かったが、一部音(セリフ)がとんでいたので星三つ
森内閣で環境庁長官、小泉内閣で環境大臣と外務大臣を歴任した著者だが、民間から入閣する以前は、一般的な知名度は決して高くなかったと思う。私もニュースではじめて知った名前だった。
東大卒業後、通産官僚からサントリーの重役を経ての入閣だそうだが、この本は、著者が世間に知られる以前、つまり入閣前の事柄に多くのページが割かれている。それは、たしかにエリートの人生ではあるにせよ、ひとりの女性のなかなか美しい青春の物語である。とくに、まだ日本が貧しかった1950年代に、高校生であった著者がアメリカにホームステイして過したくだりは読み応えがある。
本の後半に政界入りしてからのことや、今後に向けての政策提言などが書かれているのだが、大臣として何をどうしようとしたか、あるいは政治家として今後何に取り組みたいかといった志向の原点が、官僚時代を含めた彼女の青春時代、つまり本の前半に書かれたことにあるということがわかる。
いわゆる政治家本を期待する向きにはアテがはずれると思うが、戦後の昭和の青春のひとつのかたちとして味読する価値はあると思う。
装丁が美しいこともつけ加えておく。
「耳を噛みたがる女」(増村保造監督、主演:若尾文子)、「物を高く売り付ける女」(市川崑監督、主演:山本富士子)、
「恋を忘れていた女」(吉村公三郎監督、主演:京マチ子)のオムニバス映画。
崑監督曰くこの作品は大映の企画で製作され、監督・主演女優ともに年功序列的なセレクトだったそうです。
とにかく自分たちで存分に愉しいものを作るということがコンセプトにあったとかで、四の五の言わずに見れる、
見ていただきたい作品だそうです。
増村監督の作品はとにかくテンポが良く軽快。彼の初期の作風そのままって感じで見ていてあっという間。
増村監督作品に欠かせない左幸子の脇役も本当に巧いです。
崑監督は正直前半退屈でしたが、中盤からグググと面白さが増して後半まで見ると実に濃厚且つ秀逸な映画的作品でした。
見終わって感じたのは「3本中一番良いかも」。
吉村監督は相変わらず光の使い方が特長的だなと思いつつ、京マチ子との息のあった演出がやはり見もの。
演技はピカ一、3人の中では一番安心して見れます。
前半は蓮っ葉な京都女なんですが後半で魅せる女性らしさが実に妖艶でひきつけられます。
カメラは宮川一夫さん。
とにかく映画ファン、特に60年代の日本映画が大好きな方には間違いなくお薦めできる一本です。
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