本作を手に取るまで、私は北条早雲について何も知らなかった。名前は聞いたことが あるが、初期の戦国武将といった程度だ。だが本作で非常に独創的な新しい時代の 先駆者であることを知った。将軍の側近として権勢をふるった名門伊勢家の出身とは いえ、末流の新九郎はただの鞍職人に過ぎない。上巻だけでは「この新九郎がかの 北条早雲になるのか?一体どうやって?」と不思議を感じざるを得ないくらいである。
実は司馬作品を読むのもこれが初めてとなる。あくまで本作品だけの印象になるが、 時代の空気を表現するのが非常に巧みと感じた。鎌倉・室町期と守護層が一方的な 支配をするのが当然だったのが、急速に国人・地侍が力をつけてくる。百姓も鋤・鍬の 品質向上により、自力での開墾が可能になり、年貢をもっていくだけの守護に反発を 強めてゆく。だが旧来の支配層は、そのような階層(地下人)を頭から軽視しつづけた。 早雲は時代の変化に早くから気づき、地下人こそ国の礎と見て、彼らを慰撫し、その 力を活かす新しい統治を始める。早雲自身が時代の変革を促進したとも言えるだろう。
このレビューは、2010年の最後、つまりは大晦日に書いている。
本作を読んでいてよく思ったのは、最近の政治と重ね合わせられることが多かったことと、今の日本の政治に必要なのは北条早雲の考え方だ、ということ。
最近の政治と特に重ね合わせて見えたのは、意味も分からずに10年間も戦った「応仁の乱」や、どちらが関東管領であるかを16年間も戦った山内・扇谷両上杉氏などを見ている時にそう感じた。
そして時代と全くちがう、「自分の利のためではなく、百姓の利のために戦う」といったスタイルの北条早雲を見ていて、「このような人物が今の日本に必要だ」と感じた。
最近の政治に疑問を持っている人は是非読んでもらいたい。 きっと同じように思えてくるはずだ。
司馬遼太郎は戦国時代(斉藤道三が主人公の『国盗り物語』)以降の歴史小説に名作が集中している。当然、幕末もの、『坂の上の雲』もそこに含まれている。日本の歴史を戦国時代に突入させた人物は北条早雲。つまりこの作品は司馬文学にとって、名作群の入口に当たる重要なポイントにある。しかし書かれたのは59歳で、『胡蝶の夢』よりも『菜の花の沖』よりも後のことだ。それだけに筆は円熟の境地で、物語は悠然と進む。かといって退屈な箇所は全くない。あえていえば、タイトルが地味なので(なにせ「箱根」だし)、手に取る人が『竜馬がゆく』や『花神』といった作品よりは少ないのかもしれない。司馬氏の胸の中は、歌や詩でいっぱいだったが、この小説ではその要素が満開になっている。特にこの上巻では、歌が重要な役割を演じている。山野の風景を馬上からゆっくりとながめるように、草雲の生涯を味うその愉しみ。
面白かった。中世末期の関東の動向を、北条氏五代を中心に概説した本。
碓氷峠・足柄峠・利根川などの地形的特長や、公方・関東管領など中世の権威が残る関東で、
「よそ者」北条氏が生き残りつつ力を蓄えていく様が、興味深かった。
今川氏を、京と関東との緩衝と捉える見解や
越相一和を、公方・管領職の妥協と再構成の視点から解説するのも面白かった。
図説も多く読みやすかった。
永井豪作品としておちつきのある、歴史漫画。 独特のインスピレーションを持つ永井豪作品のなかでは、きっと地味目。 その分説得力がある、北条早雲伝。 戦略眼、戦術眼を鷹の目として表しているのだろうか。応仁の乱から関東制覇までを描く。 歴史的には名君だったとされ、家訓もよくひきあいに出される後北条氏の祖。 独特の政情判断と家臣団による活躍が見物。太田道灌とのエピソードはモデルは秀吉かもしれない。 今でも小田原といえば、早雲。鎌倉と頼朝のようなもの。 美女の裸体像も少なく、超人的な武将も少なめだが、まぎれもなくダイナミックプロの作品。 手天童子、バイオレンスジャックの素材の一つとなっている歴史漫画なのかもしれない。 味のある歴史シリーズの一冊。
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