3月2日に急逝された久世光彦さんが演出された、終戦記念ドラマシリーズです。
久世さんが手がけられたこのドラマシリーズでは、戦争はあくまで背景として描かれていて、ここでも主役は「家族の日常」です。
戦時下でも変わらない心のふれあいと微妙なずれが、久世さん独特の美意識によって色彩豊かに描かれています。
このシリーズで一番印象に残っているのは、「蛍の宿」のラストシーンです。
戦争が終わった日の午後、まばゆいばかりに輝く海に向かって末娘役の田畑智子さんが砂浜を駆けて行くシーンは鮮烈でした。
「いつか見た青い空」のラストのナレーションも感動的でした。
・・・・・あの日の空は青かったと誰もが言います。何かが終わったのか、それともこれからはじまるのか、私にはよくわかりませんでした。私たちは四人で青い空を見ていました。いつまでも、いつまでも・・・・・。
ナレーターの黒柳徹子さんは読みながら声をつまらせ、涙を流されたそうです。
戦争を体験された世代としては、久世さんの世代が最後になるのでしょう。
戦時下の人々の暮らしを身近な日常として描くことは、後の世代の作家には出来ないことです。
そういう意味でも、この作品が素敵な装丁のDVDとして残されることを嬉しく思います。
あらためて、久世光彦さんのご冥福をお祈りします。
そして、ありがとうございました。
「あ・うん」を開幕から終幕まで見終えるのに半年以上かかってしまった。
理由は、退屈、だ。見るたびに眠くなり、あるいはこらえきれなくなって中断したからだ。
今回は意を決して、朝、まだ元気なうちに見た。そして、・・・感動。
眠かったのは高倉健の扮する門倉と板東の扮する水田の「友情」のシーンに拒否反応を抱いたからだ。しかし、そんな腐った前置きが終わるときわどい秘密が見えてくる。これで眠気が醒めた。
水田の妻(富司純子)を門倉は惚れていた。そして、その心を知っている水田も娘(富田靖子)も彼を許せていた。人の家庭に深入りすることは危険だが、健康の領域ギリギリまで門倉を水田家は招き入れている。門倉が仁義を守っていたからだ。やがて、門倉の妻(宮本信子)もその空域に突入し、娘にお見合いをさせる。こうして冒頭の退屈で小さな世界が拡大して物語が俄然おもしろくなってくるのだ。
時代は、南京陥落の昭和12年の春から冬までの一年間。水田家が東京に転勤し、ジャワ支店に転勤するまで。昭和の風景がとても美しい。
向田&久世の強力な顔合わせ、そして向田さんの男女の世界観を表現するのにピッタリの女優・田中裕子さんに出会う初期作品(6作品の内の2作品)が納められている。昭和初期の正月風景そして小林亜星さんの音楽と黒柳徹子さんのナレーションがドラマの骨格をさらにしっかりと固めている。 田中裕子さんの美しさが際立ってました。
テネシーワルツ、向田邦子&久世光彦さんのドラマで切々と流れていました。素朴なストーリーで後にNHkの朝ドラ出演となる田畑智子さんがとても印象的でした・・・。音楽もそれとおなじぐらい印象的で、テネシーワルツの優しいメロディーがドラマの雰囲気とピッタリでした。久世光彦さんは音楽の選び方もとてもセンスあるな・・・と。
アルバムはテネシーワルツ以外にもワンワンワルツなどミリオンセラーのヒット曲が目白押しです。音的にはカントリーや往年のアメリカンポップといったところ。素朴だけど、それがとてもいい感じです。
題名の「トランプ」に合わせて13の短編が収められている。いずれも一家庭を中心に夫婦関係、親子関係、愛人関係における一人勝手な思い込み、自身の胸の内にしまい込む思い遣り、疑心暗鬼等を丁寧な筆致で描く秀作揃い。また、家庭内の例えば台所用品である包丁、鍋、薬缶あるいは湯のみ、表札等が小道具として巧く使われる。草花に関する細かい描写も忘れられない。どの作品も小宇宙を創っているかのようである。
例えば「かわうそ」では貞淑と思っていた妻が意外に社交的で、娘の命が危うい時に意識的にクラス会に行ったと疑う夫が包丁を握った所で話が暗転する。「花の名前」では、世間知らずの夫を教育してきたと自認する妻が、夫の愛人からの電話をキッカケに、相互の認識の違いを思い知らされる展開が鋭い。「女の物差は二十五年たっても変らないが、男の目盛りは大きくなる」という述懐が胸を打つ。「ダウト」は主人公である常務の父の葬儀に際し、常務のイスを得るため、ライバルを蹴落とすための告げ口の電話を親族中の遊び人に聞かれたかもしれないと疑心暗鬼に陥る主人公を描いて、最後に清廉潔白と思われた父の汚点とそれを知る主人公の話を絡める構成が秀抜。
13編とも人生の機微に静かに触れる秀作揃いの短編集。
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