1997年7月ジャンニ・ヴェルサーチは銃殺という非業の死をとげる。その後を継いで現在のヴェルサーチを確立したのが実妹のドナッテラ・ヴェルサーチであることは周知の事実だろう。もともとヴェルサーチの一部門『イスタンテ』を任されていた彼女は見事に兄ジャンニの作り上げた芸術を完成させたのだ。 本作は1998年に出版され、非業の死をとげたジャンニの後を継いだドナッテラがいかに素晴らしいデザイナーかを世に示したものとなっている。有名なバロッコにアニマルをあしらった表紙だが、バロッコは当初1990年の頃ジャンニが発表し、その後1990年半ばに再発されたという経緯を持っている。それをドナテラが継承した直後のこの本で取り上げているところに、ドナテラのジャンニの遺志継承の心意気を感じずにはいられない。 1991年の10月18日から12月8日には、神戸市立博物館において日本におけるジャンニ・ヴェルサーチの芸術としての初めての認知とも言える『ジャンニ・ヴェルサーチ衣装文化展』が行われている。この段階でジャンニは他のデザイナーとは格が違うことを見せつけたというべきだろう。 既に『メデューサ』に代表される彼の作品を象徴するファクターは全て完成していて、実に中身のある見ごたえたくさんの本に仕上がっている。彼の服を着るモデル達を撮る写真家も前出のアーヴイング・ペンだけでなく、ヘルムート・ニュートン、リチャード・アヴェドン、ジャンパウロ・バルビエーリ、ハーブ・リッツと大御所がずらりと並び、ポスター画もアントニオ・ロペス(この人の画風って荒木飛呂彦に似てるなぁ)、ウェルナー、ブルース・ウェーバー、タイェンと凄い人ばかりである。 彼の作る服は間違いなくこういったビジュアルの巨人たちを引きつけて離さない引力を持っていた。ジャンニの芸術を知るに不可欠な一冊である。
1997年7月ジャンニ・ヴェルサーチは銃殺という非業の死をとげる。その後を継いで現在のヴェルサーチを確立したのが実妹のドナッテラ・ヴェルサーチであることは周知の事実だろう。もともとヴェルサーチの一部門『イスタンテ』を任されていた彼女は見事に兄ジャンニの作り上げた芸術を完成させたのだ。 本作は1998年に出版され、非業の死をとげたジャンニの後を継いだドナッテラがいかに素晴らしいデザイナーかを世に示したものとなっている。有名なバロッコにアニマルをあしらった表紙だが、バロッコは当初1990年の頃ジャンニが発表し、その後1990年半ばに再発されたという経緯を持っている。それをドナテラが継承した直後のこの本で取り上げているところに、ドナテラのジャンニの遺志継承の心意気を感じずにはいられない。 1991年の10月18日から12月8日には、神戸市立博物館において日本におけるジャンニ・ヴェルサーチの芸術としての初めての認知とも言える『ジャンニ・ヴェルサーチ衣装文化展』が行われている。この段階でジャンニは他のデザイナーとは格が違うことを見せつけたというべきだろう。 既に『メデューサ』に代表される彼の作品を象徴するファクターは全て完成していて、実に中身のある見ごたえたくさんの本に仕上がっている。彼の服を着るモデル達を撮る写真家も前出のアーヴイング・ペンだけでなく、ヘルムート・ニュートン、リチャード・アヴェドン、ジャンパウロ・バルビエーリ、ハーブ・リッツと大御所がずらりと並び、ポスター画もアントニオ・ロペス(この人の画風って荒木飛呂彦に似てるなぁ)、ウェルナー、ブルース・ウェーバー、タイェンと凄い人ばかりである。 彼の作る服は間違いなくこういったビジュアルの巨人たちを引きつけて離さない引力を持っていた。ジャンニの芸術を知るに不可欠な一冊である。
最初につけた香水がこれでしたが、そのときからずっと使っています。控えめで上品な香りですね。
|