小児精神科医マルコムは、長年子供達の心の病の治療に取り組んできた。妻のアンナとマルコムの表彰に祝杯をあげていた夜、家に10年前に担当したビンセントという青年が侵入する。マルコムの治療について「ちっとも治っていない」となじったビンセントは、マルコムを撃ち、自分もその場で自殺してしまう。半年後、マルコムは患者を救えなかったことで負い目を感じ、妻アンナとの間には深い溝が出来ていた。マルコムは新しい患者、8才の少年コールを担当することになった。コールは、自殺したビンセントの症状に酷似していた。コールは母親にさえ話せずに1人で苦しんでいる様子だが、コールは何に脅えているのかマルコムにも話そうとしない。かたくなに心を閉ざすコールを説得したマルコムに、コールは驚き秘密を打ち明ける。「僕には死んだ人が見えるんだ」・・・ 最初はどれだけ怖い映像が出てくるのか身構えてしまったのですが、それよりもコールの持つ特別な感覚、『死んだ人が見える』ということがどんな風なのかをじわじわと観客に浸透させていく、そのプロセスが緊張感に拍車をかけました。「次に何が出てくるんだろう」と想像しただけでドキドキして、一瞬たりとも気の抜けないほどの緊張感の連続でした。 現世と来世に引き裂かれ、もう二度と会えなくなった人たち。けれど彼らはどこからか私たちを見つめている。私たちが彼らを思い出す時、懐かしむ時、彼らはそこにいるのかもしれません。ミステリー要素も強くて、なお去ってしまった人たちとの確かな絆を感じさせてくれるこの映画、本当に観て良かったと心から思います。
余りにも有名なラストゆえに、ネタバレ状態で本作品を見ることになった人は多いと思うが、僕もその一人。上映時にオチを雑誌で読んでしまい、ちゃんと通して見ないまま見た気になってたので、10年経って今回初めて通しでみました。
オチを知ってると、逆に途中で挿入される妻と主人公とのやりとりが味わい深いなあと感心します。他のレビュアーの方が指摘している通り、そこの寂しさがメインの映画なのかもしれません。なお、少年の言う通り、霊が悪い人間で話を聞いても他人へ危害を加えるばかりでどうしようもならない場合もあるだろうとは思うんだけど、そこのところの疑問が置き去りになったまま何となく結果オーライで終わった感がストーリー上はあるので、星は一つ削りました。幽霊モノって、結構理屈をキチンと通して作るには難しいジャンルなのかもしれませんね。
前作と作者が変わってしまったため、文章は短くなった。それで読みやすくなったのが、いいことか、悪いことかは判断が分かれるだろう。
話の結末はは前作と同じように、おっとそういうことかー、というのがラストで待ち受けている。
話的には、かなり理不尽で、事件を解決しても、それは死者の個人的な価値によるもので、生者にはまったくメリットのないかなり迷惑である。
主人公のコールは最大の被害者だ。しかも今度の話は迷惑というレベルではすまなくなる。
飛行機の墜落事件を目撃したことで、また死者に追われるコールは、家の中でも派手に暴れられる。目を覚ましてみると殺されかけたりもして、なかなかハードな日々だ。
息子を理解しようと苦悩する母親に、かつて自分の兄が死者を見る能力をもっていたという刑事が現れる。
今回の協力者はこの刑事だが、でもマルコムのように助言者という役割ではない。
どちらかというとコールは自分で状況を解決していく。それが前回の映画で得た彼の成長だ。
死者をむやみに恐れず、可能な限り避けはするが、どうしても逃れられないときは死者と向き合い、彼らが何を望み、どうすれば自らを死者と理解させ、昇天させるか、課題にたちむかう。
終わってみると、これは不幸なだけではすまされない事件ということになるが、それでもコール君はまったく不幸で終わるという話でもなかった。
被害に見合うだけの報酬もあった。記憶の中に生き続ける夢と仲間の存在だ。
最後に、この作品は絶対映画を見てから読むべきである。(見てないと読む気も起こらないかもしれないが)
文章的には可もなく不可もなく、どちらかといえばうすっぺらいくらいだが、映像を見ておけば、コールはオスワルト少年のあの不安そうな表情が蘇る。マルコムのブルース・ウィリスにしてもそうだ。文章の未熟な部分を想像力で補うことができるのだ。
それだけにすらすらと読めることはうけあいだ。
スーパーセレブタリア(世界の美女25人)の待ちかねのnuevoCD!声色もますます艶っぽくなっていい感じです!中でも「Amar sin ser amada」、「Unsueno para dos」,「Sabe bien」がいい!やっぱりTHALIAはラテンの女王だ!!Un Beso
|