ホラーといっても、純文学ですからね。決してつまらなくはないけれど、この人の作品にはたぶんもっともっとおもしろい小説があるから。
とは言っても、フィクションをいかにも史実っぽく書く技術は舌を巻く。ホラーとしても純文学としても、残念ながら飛びぬけて面白いわけではないが、佳作。
ただし、「流れる」は超傑作。
言葉は悪いが、この本は「小学生が本を書こうとして、考えて考えて、話をどんどん作ってつなげていった、その結果できた本」という感を受ける。文体は美しいとは言えないし、エピソードもやはり美しいとは言えない。しかしながら、爆発的な想像力と一気に読ませる妙な面白さを持っており、その点においてこの本は傑作の仲間入りをしているといえる。
本書でとりあげられている句のほとんどは、発表当時に話題になった句ばかりだそうです。 つまり、俳句好きにはよく知られている有名句ばかりを俎上にのせているわけです。 筆者はその理由をいろいろと語っていますが、俳句中級者にとっては有名句のどこがスゴいので有名句足りえているのかを知る良い機会になると思います。 筆者は句について作者についてできるだけ短い言葉でとらえようとしています。たとえば、高浜虚子を「天才的な素人」、金子兜太を「絶対真似できない句作り」、飯田龍太を「回転し続け、信じがたいほど遠くまで行った俳人」と評しています。こういうキャッチーな一言も面白みがあって良いです。
劇場は迷宮。怪人も魔物も住んでいると思いました。読んでいるうちに、どんどん引き込まれ主人公のふたりーカブキの魅力に取り憑かれた蕪と謎の美少年・月彦ーと共に、琵琶湖湖畔に建つ巨大な劇場「世界座」の迷宮に入り込んでしまったような錯覚にすら陥りました。
俳句は、作り手半分、読み手半分だと言われている。 つまり作り手の句を、優れた読み手が解釈して、 両方がドッキングして一つの世界が形づくられる文学だということだ。 その意味では、自分の句を雑誌などに投稿するだけでは、 なかなか上手にならない。 句会という、いわば「リング」の中に放り込まれ、 「あんたのこの句は……」 「キミのこの句は……」 と議論(?)し合うことで、 自分の句がどう解釈されるかがわかるだけでなく、 選句する眼も養われる。
1994年、厳寒の奥多摩に集った俳人は―― 三橋俊雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦、大木あまり、小沢實 岸本尚毅ら7人+歌人の岡井隆。 すでに鬼籍に入った人もいるが、一流ばかりである。
彼らがここで句会をするのだが、本書はその「実況中継」である。 「うーむ」と唸ってしまう名句も多い。 誰が誰の句を採り、誰の句に批判的だったか……など リアルに伝わってくる。時に痛烈だが、基本的にはもちろん和気あいあい。
句会の醍醐味を知るには最高の本だと思う。俳句力はこうして鍛えられていくのです。
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