思春期専門の精神科医である氏の長年の臨床経験をもとに、人を診るとはどういうことか、平易な言葉で綴った作品である。現代医療で見失いがちな、患者さんを生きている一人の人間として診るという氏の暖かくも毅然たる臨床観がいろいろな角度から述べられている。まさに、素晴らしいの一言につきる。
引用したい部分はたくさんあり、その選択に悩むが、ひとつあげると・・・。
「病気であろうとなかろうと、それぞれの子どもは、喜び、悲しみ、悩み、苦しみながら、この今を生きている。この子どもたちのこころの中に動いているものについてを考え、少しでも理解しようとすることなく、注意欠陥/多動性障害のJ君、広汎性発達障害のKさんと捉え、その症状の中で彼らのすべてを理解しようとすることが、どれだけ子どものこころを傷つけてしまうか、大人は改めて考えなければならないと思う。」(本書192ページ)
こころに響く言葉である。
精神科医や心理療法家、あるいはそれを目指す人にとって必読の書と言えるだろう。私は臨床家として氏の足元にも及ばないが、この書を座右の書として一層臨床に励みたい。
☆5つでは足りない、大げさでなく、歴史に残る名著である。時代が変わっても末永く読み継がれていくだろう。
想像を絶する苦難の中で、生きる著者の世界に心を打たれます。
これほど自分の価値観を揺さぶられた本は過去になかったかもしれません。
はじめは軽い語り口調に違和感を覚えるところもありましたが、それも含めて著者の力強さだと思います。
少しでも多くの人に読んで欲しい本です。
批判され、意見を言われて、それを受け止めて聞き入れることは正しいとされる態度である。批判から逃げて、心を閉ざしてしまうことは良くないことだ。これは一般的な通念であろう。批判に対して「そんなこと言わないで」と対抗したとしたら、「批判を受け入れないで拒否してしまうことは、幼稚だし、大人のくせに人格が成熟していない証拠だし、問題から逃げている」と判断されてしまうだろう。 しかしそれは本当に批判だろうか?「批判すること、批判を受け入れること=善いこと」という数式が、言葉の暴力の巧妙な隠れ蓑になってはいないだろうか? 当人が批判であると解するならば、どんな言葉による精神的な虐待も許されるのだろうか? 私は数年間にわたって上記のような迷路に嵌りこみ、「『批判』に傷ついてしまう自分は幼稚だ、人間が出来ていないのだ」と悩んでいた。実際に相手にもそう言われ続け、あまりにも幼い悩みのような気がして、誰にも相談できなかった。自分が卑小でどうしようもない人間のように感じ、相手には謝ってしまう。喧嘩がおさまり嵐が過ぎ去ったあとに残る空虚な違和感。この本を読んだ現在では、一種のモラルハラスメントだったのだと認識できるようになった。自分が被害者だとは思わないが、誰かに話を聞いてもらったあとのように気持ちが楽になったことは確かだ。
原作はバイト先の何人かが読んでいて面白いと言っていたので気になっていたのですが私は小説を読まないので『このアニメで内容がわかるかも』と思い拝見しました。 最初の方はマネジメントについてちゃんと説明していて勉強になったのですがある出来事の後からはマネジメントというか野球のシーンについてですが根性、感情論になってしまって『ドラッカーのマネジメント』とは関係がないように思えました。 アニメなので仕方がないのですが話が都合よく進みすぎてもっとリアリティが欲しかった。 この作者は『ドラッカーのマネジメント』を多くの人に理解してもらう為に野球という題材を使ったのでしょうが別のジャンルで紹介して欲しかったです。 野球アニメとしてはまぁまぁ面白かったです。 それにしてもこの値段は高いですね('〜`;)
お待ちしてました。夢を追いかけて大都市に出るか、いろんなものを負う決意を持って郷里に残るか…青春期の永遠のテーマですよね。よさこい祭りと難病の女の子の希望を主軸によく練りあがっていました。溝端さんは心の葛藤を表現するのが上手いですね。木南さんも妹を思う一途な表情は素晴らしかったです。五十嵐さんはいつもの明るいキャラではない、全体的にクール&ホット(ラストは別にして)な芝居。大森絢香さんの素直さには癒されました。DAIGOさん、キャラが生きてました。登場シーン少ないのにインパクトあったです。ラストのよさこい祭りのシーンはそれだけで本作品一見の価値有りでした。
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