「涙そうそう」もいいのですが、やはり、「さとうきび畑」がすばらしかったですね。10分18秒という長尺、「ざわわ」という歌詞の66回、11番までの曲の単調な繰り返しをまったく感じさせないメリハリのある歌声で、一回一回心の奥底に染みてくる森山さんの歌声でした。このシングル・リリース以降も、「さとうきび畑」は、THE BOOM、夏川りみ、松浦亜弥によってカヴァーされていますし、カヴァーされたこと自体意味のあることですが、元祖の森山さんには、やはり貫禄があります。ご子息である森山直太朗氏の「さくら」がリリースされたのは、このCDのリリースよりあとですが、「まだまだ“直太朗の母”とは呼ばせない」という貫禄のある歌唱力です。 さて、ケースのなかには、ジャケット/歌詞カード、CDのほかに、「「ざわわ」の希い」と題された、寺島尚彦(「さとうきび畑」作者)氏の筆になるメッセージ・カードも入っています。日付や内容から言って、寺島氏は、同時多発テロ以降の「報復という名の戦争」を終わらせたかったことがわかります。その後、その希いもさしあたり虚しく終わったことを念頭に置きながら聴いてみると、平和・反戦が到来するまでの遠い道のりについてあらためてじみじみと考えさせられる一曲です。
どこかの音楽情報サイトに最近人気のタイトルということで紹介されていて、これは昔よく「NHKみんなのうた」で森山良子さんの歌声で聞いていたものだろうな、と懐かしい気持ちで見ていました。 そして今日、仕事帰りにたまたまCDショップに立寄り、ふと思い出して何となく手に取り試聴してみました。 1曲目の「カロ・ミオ・ベン」の出だしを何秒間か聞いた途端、肩の力が抜け、何とも言えない安らぎ・幸福感が体一杯に広がってゆきました。(思えば、ここ何日か仕事の繁忙期のせいで心身共にグタグタに疲れていました) とにかく、この澄んだ歌声‥この世の中の欲だとか得だとかを一切超越したかの様な安らかな声に癒されない人はいないのではないか、と思います。 家に帰り、中のブックレットを読んで、又しばし感無量になりました。 出生時の事故により、全盲の半生。米国人のお父さんは彼が生まれた時にはもう行方不明だったのでしょうか?肉親に次々と生き別れ、死に別れ、天涯孤独の中自殺をはかり、そんな中でのキリスト教との出会い。たとえ様もない苦難の末に彼が得たものとは、神の慈愛であり赦しであったのでしょうか。 そんな彼にしか謳う事の出来ない、大きな思いが一つ一つの歌に込められているのを感じます。 16曲の選曲の内のほとんどが私の好きな曲であった事も理由の一つですが、彼の歌声をほんの数秒聞いただけで買おうと思ったのは、ほんの一瞬にして強く、私の心が彼の心のメッセージを受け止めたからだと思います。
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戦争中と言っても、青年の行動は止められません。否、もっと激しく燃え上がるものなのでしょう。僕のおばあちゃんは十人の子供を産みました。一人は小さくして亡くなりましたけどその四男の子供として僕は生まれました。ふとおばあちゃんの時代のことかな?と親しみを感じました。もちろん戦争だから敵国との銃撃戦もある。そのために命をかけてたたかわなければなりません。その限りある自由な時間。束縛された自由なのかもしれない。その中で、異性の魅力を感じ、より激しく燃え上がるのは動物としての本能でしょう。それなくして、自分の子孫を残せないのだから。
森山未來は実に好演している。見ていてある意味、プロらしくありません。その愛い愛いしさが同性からみても将来大成するなとの予感に満ち溢れている。森山だけではありません。相手役の上野樹里もよくやっている。恋人を探して(?)いや、実際は入れ替わるのですけど、その変化にも敏感に、また、最後にもう一度変わるのですけど、そこで終わっているので、あとは想像するしかないのですが。
このシリーズ。「広島昭和20年8月6日」もそうでしたが、実に悲惨なことをさらりと描いていて、それがより一層悲しみを増すわけですが。そのとのことを再度記します。
クラシック歌手鮫島有美子が歌い上げる「戦争と平和」の歌。しっかりとした歌唱力、けれんみのない率直な歌唱と伴奏をベースに、戦争や死への悲しみと平和や生への願いが、愛情豊かに切々と伝わってくる。日本の軍隊がついにイラクに行った今だからこそ、聴き直したい平和へのさまざまな願い。
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