カメラが大空からパンダウンしてある古いお城の一室の中を映すと大きな白い猟人の壁画の前で16歳の誕生日を迎えるシルビーのお祝いのために集まっている子供たちの一群を前に、彼女が憧れの白い猟人のお話をしているところである。自分の祖母を愛していた白い猟人は、彼女の祖父と決闘して亡くなるのだが、幽霊になってまで、尚、愛している恋人の祖母のもとに通って来たという言い伝えが、シルビーにはロマンチックでたまらないのである。又、いっしょに描かれている忠実な猟犬は、死ぬまでずっと猟人のお墓のそばに付き添ったと言うことも、さらに、彼女の心のなかに、白い猟人を占めさせている理由でもある。 この場面のシルビーを演じているオデット ジョワイユーは、実年齢では、10歳は年上だが、周りの子供たちとまったく年齢差を感じさせることなく、一瞬だが、おとぎの世界に入った気持ちにさせられる、圧巻の場面である。 お話の筋は、夢を恋している乙女が、やさしい父親の心遣いで、まぼろしの白い猟人と、白い幽霊の衣を着てかわるがわる現れる、彼女に一目惚れの現世の青年達との交流の中で、現実の青年に恋する若い女性に変貌していくごく普通のものなのだが、クロード オータンララの隅々までの暖かい心配りで、シルビーのみずみずしい、容姿と演技を引き立てている演出の巧みさに感心する。さらに、薄い半透明の白い猟人のまぼろしを演じている、ジャック タチのその後の彼の喜劇的演技からは想像出来ないくらい、優雅なバレーを踊っているような、動作が、通常の幽霊のイメージを離れて、シルビーの心象の変化を、独創的に、我々に理解させてくれる。シルビーを演じているオデット ジョワイユーは、単なる可憐な、女優ではなく、作家、脚本家、舞台俳優としても活躍した、並みの才媛ではない。これら実力派3人が集まって出来たこの作品は、表面的に見て受ける甘ったるい印象とは違うものがあることを、強調しておきたい。 最後に、音楽も、シルビーのテーマがドビュッシーの”レントよりゆるく”に似ているのも、忘れがたい作品にしていることに役立っている言うのが私の思いである。 小品だが、珠玉の作品である。
初めて聞いたのは、(ごめんね)日本のバンド〜と半分馬鹿にしてのサマソニ。
球場で演奏するのはガイタレじゃないの!!
でも、あー目からうろこ。耳から小石。おじさん知らなかった・・・
ゆるして。あーきもちいい。このサウンド。そして英語の歌詞。日本語もあるよ〜。
ばかにしていた。先入観はいらない。
そうです。気持ちよければ何もいらない。
「ポップスファンのためのエセロックでありJ-POPの腐れ具合の象徴であり流行物にすぎません。 」
なんて・・・酷評することに何の意味があるの?悲しい・・・
音楽の趣味は押し付けるものでも批判するものでもない。
気持ちがいいなら薦めればいい。
嫌いならば聞かなければいい。
疾走感は日本のバンドとしては「来たか」
いいよ!おじさんは「日本のバンドは日本語で歌いつけろ!」と
怒り渦巻いていた世代だけど。
もういい。和解。
「高架線」は日本語歌詞が多いです。まずは初級で聞いてみて。
洋楽が好きな人はどこからでも聞いてみるとよろしい。
石頭は無しで。好きならきく。嫌いならそっと立ち去ればいいのに。
音楽ってそうじゃなかかったったけ?
千葉県民じゃないけど、サマソニのステージは今も忘れないよ。
今回のアルバムいいね〜また好きになりました。
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